2010年03月20日

バリ島は静かに死ぬ 6

夜になると、人で溢れていた、クタ・レギャン通りも、驚くほど、人が少なくなった。
ただし、ビーチ側の、小路に入ると、賑わいがある。といっても、一部だけである。

そこから、街が、北へ移動して、スミニャック、クロボカンと、広がっている。

つまり、分散してきたのだ。
お客は、オーストラリア人が多い。

更に、スミニャックには、世界から、ゲイたちが、来るようになった。
ゲイが、普通にいられるようになった、街である。

私が、更に、驚いたのは、あれほど、多数いた、ストリートチルドレンが見当たらないということだった。
特に、女の子たちは、全員いなくなっていた。

前回、出会った、子たちに、逢いたいと、出掛けた場所では、一人の男の子を、見かけて、尋ねた。

皆、もう、ここには、いない。遠い所に行ったという。
彼に、衣服は、必要かと、聞くと、欲しいというので、サイズの合うものを、手渡しした。

更に、付近を歩いて、二人の、男の子見つけた。
服を上げると、とても、喜んだ。

私は、聞いた。
あなたたちの、住んでいる場所に行きたい、と。

すると、遠い、遠いと、言う。
タクシーで、行こうと、言うと、それでも、遠い所だという。

それでは、彼らは、夜は、通りで、過ごして、朝帰るのだろうか。

私が、見つけたのは、ビーチで、一人、通りで、三人だけだった。

つまり、人が少なくなり、商売が、出来なくなったので、皆、他に移ったということである。
更に、組織的に、子供たちを使う、大人が、移動させたのかもしれない。

子供たちに、衣服を渡していると、大人も、やって来て、服が欲しいと言うが、大人のサイズのものがなく、渡せなかった。

以前、出会った子供たちには、一人も、逢うことが、出来なかった。

それで、私も、決心がついた。
ここは、今回で、お仕舞いにしょうと。

それだけではない。
様々なことを、考えさせられた。

観光客に、支えられて、存在する、街であるから、それなりの、ルールや、常識が、出来上がってもいいものだが、そんな気配は、一つもない。

メータータクシー以外の、タクシー、バイクタクシーたちの、勧誘は、実に、露骨に、嫌味になっていた。

しっこい、のは、許せるが、言葉が、汚くなっている。
更に、私たちには、解らない、バリ島の言葉で、罵倒する者もいる。

私は、私たちは、一切、無視することにしたが、その背中に、バリ語で、浴びせる言葉は、汚い。
それが、意味は、解らないが、気で、解る。

商売が、うまくいかず、拗ねている、状態である。
要するに、精神的に、幼いのである。

そして、最悪なのは、立ち並ぶ、店にいる者たちが、投げ掛ける、言葉である。

以前とは、違った。
明らかに、馬鹿にしているのだ。

拗ねただけではなく、現状を、どうすることも出来ないゆえに、観光客を、馬鹿にして、鬱憤を晴らすのである。
特に、日本人観光客に対しては、酷い。

日本人は、声を掛けられると、つい、それに、答える。
それが、馬鹿にされることの、一つ。

白人は、相手にしないのであり、更に、主人だと、振舞うのである。

長い、オランダ統治時代の、精神が、今も、残滓としてあり、その、植民地根性から、抜け切れないのである。
勿論、彼らは、それを、意識していない。

更に、日本人観光客、ツアーでは、現地の人と、触れ合わなくても、いい状態が、作られている。

ツアーの中に、すべて揃っている。

更に、高級ホテルのツアーなどは、全く、現地の様子など、見ない。
専用の、バスが用意されて、それで、観光地を回る。
お土産も、専用の、ビルがある。

ツアー以外の、個人旅行者は、ウブドゥなどに、行く。

だが、クタ、レギャン地区が、死ねば、バリ島全域に、広がる。

バリ島在住の日本人女性を、含めて、三人の、日本人女性が、数ヶ月のうちに、殺された。

在住の女性を、殺したのは、顔見知りの、ホテル従業員たちである。

これから、益々、治安が悪くなる。更に、それが、他の地域にも、広がる。
ウブドゥに、観光客が、集えば、ウブドゥも、そうなる。

ジャワから来た人が、ロンボクから、来た人たちが、悪いという、お話は、通用しない。
何故なら、純粋バリニーズというものは、いないからである。
それは、植民地時代以前の、歴史を見れば、解るのである。

バリニーズを過大に、評価することは、出来ない。



posted by 天山 at 00:00| バリ島は静かに死ぬ 平成22年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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