2010年03月15日

バリ島は静かに死ぬ 1

バリ島は、静かに死ぬ

二月は、寒中である。
その二月に、暖かいバリ島に出掛けるのは、楽しい。

幾度、バリ島に出掛けたことか・・・
その回数も、忘れるほど。

今回も、慰霊と、衣服支援である。
それは、テロ犠牲者の慰霊碑と、バリ島戦争犠牲者の追悼慰霊である。

そして、繁華街である、クタ・レギャン通りの、ストリートチルドレン、更に、その付近の、バリニーズの住居にての、衣服支援である。
前回より、その内容を、深くし、より、貧しい子供たちに、支援することが、できた。
そして、ジンバランという、漁村での、貧困地区での、支援である。

前回、出掛けた場所は、まだ、いいのだが、衣服を渡す相手を、訪ねて行く活動であるから、暑い日差しの中では、相当なストレスもあった。

さて、バリ島について、今回の、題名をつけたのは、いよいよ、観光地として、有名な、バリ島にも、陰りが、見え始めたこと。
それには、大きな問題が沢山あること。

そして、バリ島は、インドネシアの一部であること。

インドネシアという国は、日本の支援がなければ、先に進まない国であること、両国民は、知らない。
如何に、日本の支援に頼り国造りをしているか、ということ。

二万以上の島国である、インドネシアの政治は、まだ、混迷の色強くある。

東ティモールは、独立したが、まだ、独立を求めている地域もある。

バリ島の、文化、その異国情緒、バリヒンドゥーのお祭りなどにも、魅力があり、勿論、寺院の観光もある。

神々の島との、歌い文句だが、バリ島には、神々より、精霊、あるいは、浮遊する霊の方が、多く、更には、化け物化した、見えない世界の、モノがいる。

下手に、祭りに参加して、具合の悪いなる人も、多々いる。
それを、旅の疲れだと、納得する人の多いこと。

それでは、旅の様子を、伝えつつ、バリ島が静かに死ぬ様を、書いていく。

三名の、旅で、衣類は、100キロ近くを持参した。
勿論、無料で、飛行機に乗せられる量は、一人20キロである。

登場手続きの際に、案の定、重量オーバーである。

女性の、受付では、決められない状態で、上司が出てきた。
そして、サービスで、一人五キロオーバーならば、いいということになった。

つまり、三人で、75キロである。
残りの、25キロは、三人で、分担して、機内持ち込みにした。

ただ、徐々に、無料積み込みが、厳しくなるようである。

兎も角、すべてを、持ってゆくことが、出来たのは、嬉しいことだった。

そのせいで、乗り込む時間まで、ゆっくりと、していられない。
慌しく、食事を済ませて、昼前の時間に、飛び立った。

ガルーダーである。
案の定、空いていた。
つまり、私たちは、決められた席ではなく、空いている、席に、それぞれ移った。

機内食が、出るときだけ、起きて、後は、体を横にして、寝られたのである。

十分に、眠り、バリ島に到着したのは、夕方である。

今回は、入国が、飛行機の中で、行われた。
一月から、入国手続きが、変更になったのである。

更に、乗る前に、入国料金を支払うという、ことだった。
それも、値上がりしていた。

10ドルが、一人25ドルに上がっていたのである。
私たちは、七日間であるから、以前なら、10ドルのビザだった。

帰りは、一人、150000ルピアである。1500円。
合わせて、4000円である。

それを、機内で、パスポートと一緒に提出して、入国審査が、終わる。

だから、入国審査のために、並ばなくてもいいのである。
また、帰りは、出入国カードがいらないことになった。

だが、帰りの、出国では、それで、揉めた。
カードを出せという。
私は、必要ないと、言った。

後ろから、コータが、システムチェンジと、言うが、検査官は、カードがなければ、駄目だというのである。

仕方なく、元に戻り、飛行機会社の、カウンターで、カードを貰い、それに記入して、ようやく、出国手続きが、済んだ。
済まなかったのは、コータであった。

英語で、検査官を怒鳴った。

あらあら、ここは、軍事政権なのに・・・と、思いつつ、見ていた。
検査官が、コータの怒りに、触発されて、コータを、呼び止めたが、コータは、気づかず、私たちのところに来たので、私は、検査官を無視して、登場口に向かった。

あれで、私も、怒っていたら、飛行機に乗られなかったかもしれない。

一月に、方法が、変わったということを、知らない、という、その体制に、日本ではありえないという、感慨を抱いた。

私は、入国した時に、わざわざ、入国官に尋ねにいって、確認していたのである。

必要ないと、言われた。
だが、必要あるという。
更に、別の関係者に尋ねると、知らないという。

本当に、呆れる。

ガルーダーに乗るお客に対する、サービスとして、はじめた、企画なのかもしれず、帰国してから、ガルーダーに、意見書を出した。
返事は、来ていない。

一緒に、乗っていた、日本人たちは、どうしたのか・・・気にかかる。

まあ、私たちのように、怒鳴る人は、いないだろうから、穏便にやったであろう。

手続きとしては、日本では、有り得ないことである。

さて、格安ツアーなので、送迎の人が来ている。
ガイドさんも、一緒であるが、私たちは、出迎えと、見送りだけの、関係である。

予定を聞かれたが、何もしないと、言って終わり。
兎に角、帰りの日の、迎えに来る時間を、確認して、終わりである。

昨年と、同じホテルにしていた。

何と、ホテルは、少し新しく衣替えしていた。

このホテルが気に入ったのは、お湯がきちんとでること、と、朝食が、バイキングで、たっぶり、食べられるからだ。
部屋も、綺麗だ。

大量の荷物に、ボーイたちが、驚いていた。一度では、運びきれなかった。
新しいエレベーターが、増えていた。
昔のものは、従業員用になっている。



posted by 天山 at 00:00| バリ島は静かに死ぬ 平成22年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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