2010年02月02日

殺されるよりましだ・プノンペン 2

今回の、荷物、支援物資は、詰めるだけ詰めた。

二人で、20キロ無料の他に、それぞれ、機内持ち込みで、10キロ程度のバッグである。
60キロかと、思いきや、70キロを超えていたようだ。

登場手続きの際に、それで、時間がかかった。
少しの詰め替えをした。

そして、まだオーバーしていたが、受付の、お姉さんが、妥協する。

それは、タイまでは、大丈夫だった。
だが、タイから、カンボジア・プノンペンに乗る飛行機は、駄目。
妥協などしてくれない、格安航空会社である。

それで、何とか方法を、考えた。

バンコク・スクンゥィットの、ゲストハウスで、それじゃあ、先延ばししていた、バンコクの、スラムを訪ねながら、支援をしようということになった。

クロントゥーイ地区である。
そこにある、お寺を目指して、タクシーに乗ることにした。

そこは、川に面して、小屋や、長屋建ての建物が、続くという、スラムである。

タクシーの運転手が、私たちの行動を理解してくれて、まず、お寺の敷地内に車を入れて、その辺りを、教えてくれた。
更に、私たちが、戻るまで、待っていてくれるという。
ここには、タクシーが、来ないから、帰りが大変だと言うのだ。
一度、支払いを済ませているので、その間は、無料である。

二つの、バッグを持って、迷路のような、スラム街に入る。

一番、大変なところは、何処かと、訪ねて歩いた。
が、誰に聞いても、ここは、皆、貧しい人ばかりだと言う。

コータが、タイ語で、私たちの、目的を話した。
すると、ここで、やってくれと、懇願される。

一台の、屋台の台に、衣服を出してくれと言われた。

その間に、人々が声を掛け合い、集める。
だが、子供が一人しかいない。
子供たちは、遊びに出たという。

適当に、台の上に、衣服を並べた。
すると、皆さん、好き好きに、それらから、取ってゆく。
私は、ただ、眺めていた。

あっという間に、すべてが、無くなった。
きっと、だれかれに、後で、渡すだろうと、思われた。
スラムは、まだまだ広いのである。

私は、もっと、川べりや、迷路のようなスラムの道を、入り、手渡したかった。
だが、それは、次の機会にすることにした。

皆さん、大変喜んでくれた。
それだけで、いい。

ここは、皆、貧しい
この言葉が、象徴するように、皆、貧しい人のタウンである。

その中で、小さな商売をする人たちもいる。
特に、屋台の食堂が、印象的だった。

食べ物を、安く提供するのは、商売というより、福祉である。
そういう、おばさんたちが、必ずいる。
その地域の、お母さん的、存在である。

私たちは、待っていてくれた、タクシーの元に、戻った。

そのまま、ゲストハウスに戻ることにする。

運転手さんが、私たちの予定を、尋ねるので、カンボジアに行くと、言うと、何時かと、聞くので、明日と言った。
飛行機か
そう
それなら、迎えに来ます
昼の12時に来てください。

旅の出会いは、こんな風に、進む。

兎に角、バンコクのスラムに出掛けられたことが、良かった。
いずれは、継続して、スラムに支援をしたいと、思っていたのだ。

何度も行く間に、皆さんと、顔馴染みになる。
そして、更に、生活の細部を知ることになる。

タイは、中産国と、言われている。
貧しい国から、脱したと。しかし、まだまだ、それは、遠い。

中産国の、生活をしている人は、一部である。
バンコクから離れれば、離れるほど、その格差が、広がる。

北部や、東北部、そして、山間部の、少数民族たち。
日本の二倍の、広さの国である。
更に、少数民族も多い。
そして、難民である。

助けを必要とする人たちは、多い。
国の責任である。と、共に、アジアの国々の、協力が必要である。

私は、私に出来ることをするのみ。

繁華街でも、道を一本別にすると、全く、風景も、内容も違う街が、バンコクである。

今回は、そんな、バンコクの表情を、よくよく、知ることになった。
同じものでさえ、場所によって、半額で、買えたりする。
庶民の、屋台で、食べることが、私には、当たり前になった。



×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。