2010年01月30日

もののあわれ 490

かの旅の御日記の箱をも取り出でさせ給ひて、このついでにぞ女君にも見せ奉り給ひける。御心深く知らで、今見む人だに、すこし物思ひ知らむ人は、涙惜しむまじくあはれなり。まいて忘れがたく、そのよの夢を思しさます折なき御心どもには、取りかへし悲しう思し出でられる。今まで見せ給はざりける恨みをぞ聞え給ひける。





あの、旅の、日記の箱も、取り出して、この機会に、女君にも、お見せになる。
当時の心境を、よく知らずに、今はじめて、見る人でも、少し物の分かる人ならば、涙を禁じえないほどに、あはれ、である。
まして、忘れ難く、その頃の、思い出の、薄らぐことの無い、お二人は、昔と同じ悲しさが、甦る思いである。
女君は、今まで、見せなかった、恨みを申し上げる。





ひとりいて 嘆きしよりは あまの住む かたをかくてぞ 見るべかりける

おぼつかなさは、なぐさみましものを」と、宣ふ。いとあはれと思して、

源氏
うきめ見し そのをりよりも 今日はまた 過ぎにしかたに かへる涙か

中宮ばかりには、見せ奉るべきものなり。かたはなるまじき一帖づつ」さすがに浦々のありさまさやかに見えたるを、えり給ふついでにも、かの明石の家居ぞ、「まづいかに」と、思しやらぬ時の間なき。






一人、京に残って嘆いていました。それよりは、私も、須磨に下って行き、このように、海人の生活を絵に描いて、いたほうが良かったのです。

そうすれば、頼りなさも、薄らぎました、と、仰る。それを見て、たいそう、かわいそうになり、

源氏
辛い思いをした、あの当時よりも、今日、この絵を見て、再び、過去に立ち返り、ひとしお、涙が流れます。

中宮だけは、お目にかけなければならないもの。不出来でないものを、一つずつ、と、それなりに、浦々の景色などが、はっきりしたものを、選ばれるときも、あの明石の住まいのことが、まず思い出されて、どうしているのか、と、片時も、忘れないのである。





かう絵ども集めらると聞え給ひて、権中納言いとど心をつくして、軸、表紙、紐の飾り、いよいよととのへ給ふ。三月の十日の程なれば、空もうららかにて、人の心ものび、物おもしろき折りなるに、うちわたりも、さるべき節会どものひまなれば、ただかやうの事どもにて、御かたがた暮らし給ふを、「おなじくは、御覧じ所もまさりぬべくて奉らむ」の御心つきて、いとわづと集め参らせ給へり。こなたかなたとさまざまに多かり。物語絵はこまやかに、なつかしさのさるめるを、梅壺の御かたは、いにしへの物語、名高くゆえある限り、弘微殿は、そのころ世にめづらしく、をかしき限りをえりかかせ給へれば、うち見る目の今めかしき花やかさは、いとこよなくまされり。上の女房なども、よしある限り、これはかれは、など定めあへるを、この頃の事にすめり。





このように、絵を集めると、聞いて、権中納言は、いっそう、懸命になり、軸、表紙、紐の飾りを、益々、立派に、作られる。
三月の、十日頃なので、空も、うららかに、人の心も、のどやかで、何となく、風情のある、時期である。
宮中でも、取り立てて、節会もないので、ただ、このようなことをして、どなたも、暮らしている。
同じことなら、主上も、興味深く、ご覧になるように、して差し上げようとの、気持ちになり、特別に、気を使い、集めて差し上げる。
こちらにも、あちらにも、色々な種類の絵がある。物語の絵は、親しみあるのが、勝る。
梅壺の、御方は、前斎宮のこと、は、昔の物語、有名で由緒のあるものばかりで、弘微殿は、当時、騒がれた、面白いものばかりを、選んで、描かせたもので、見た目は、今風の派手さは、この上なく、優れていた。
主上つきの、女房なども、その心得のあるものは、皆、この絵は、あの絵は、と、批評する。それを仕事にしている様子である。





中宮も参らせ給へる頃にて、かたかだ御覧じつつ捨てがたく思ほすことなれば、御おこなひもおこたりつつ御覧ず。この人々のとりどりに論ずるを聞し召して、左右と方分かたせ給ふ。梅壺の御かたには、平典侍、侍従の内侍、少将の命婦、右には大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦をただ今は心にくき有どもにて、心心に争ふ口つきどもを「をかし」と聞し召して、まづ物語の出できはじめの類なる竹取の翁にうつほの俊蔭を合はせて争う。




中宮も、参内されたときで、あれこれと、ご覧になり、世は捨てても、絵は捨て難いとの、思いで、仏前のお勤めを、怠っては、ご覧になる。
この人たちが、銘々に、論じるのを、聞かれて、左と、右に、組を分ける。
梅壺の、方には平典侍、侍従の内侍、少将の命婦、右には、大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦を、当時すぐれた物語たちとしていたが、思い思いに、論ずる様子を、興味深く、お聞きになる。
最初に、物語の、元祖である、竹取の翁の物語に、うつお物語の俊蔭を合わせて、優劣を争う。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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