2010年01月28日

もののあわれ 488

「院の御有様は、女にて見奉らまほしきを、この御けはひも似げなからず、いとよき御あはひなめるを、内はまだいといはけなくおはしますめるに、かく引きたがへ聞ゆるを、人知れず、ものしとや思すらむ」など、にくき事をさへ思しやりて、胸つぶれ給へど、今日になりて思しとどむべき事にしあらねば、事ども有るべきさまに宣ひおきて、むつまじう思す修理の宰相を、くはしく仕うまつるべく宣うて、内に参り給ひぬ。





院のご様子は、女になって、お会いしたいほどだが、宮の様子も、不釣合いではなく、まことに、似つかわしい同士である。主上は、大変幼少であられるので、このように、うらはらな、取り持ちをすることを、宮も、心の中で、不快に感じているのではないか、などと、気を回さなくていいことまで、気を回して、胸を痛める。今日になって、取り止めるわけにもゆかないので、万事、しかるべきように、お指図されて、信頼の深い、修理の宰相に、仔細をお世話するようにおっしゃって、参内された。




「うけばりたる親ざまには聞しめされじ」と、院をつつみ聞え給ひて、御とぶらひばかりと見せ給へり。よき女房などはもとより多かる宮なれば、里がちなりしも参りつどひて、いとになく、けはひあらまほし。「あはれ、おはせましかば、いかにかひありて思しいたづかまし」と昔の御心ざま思し出づるに、「おほかたの世につけては、惜しうあたらしかりし人の御有様ぞや。さこそえあらぬものなりけれ。よしあし方はなほすぐれて」物の折りごとに思ひ出で聞え給ふ。




おおっぴらに、親代わりと、院に思われないように、と、気兼ねして、ただ、ご機嫌伺いだけのように、見せる。
良い女房たちが、元々多い斎宮の御殿なので、実家に引きこもりがちだった、女房たちも、参り集まって、またとない、良い有様である。
あはれ、御息所が生きていれば、どんなにか、甲斐あって、世話するだろうか、と、亡き人の、性格を思い出すにつけて、特別の関係ない人としてみれば、まことに、惜しむべき人柄だった。中々あれほどには、なれないもの。風雅の心は、特に優れていた、と、何かの折には、思い出すのである。



この場合の、あはれ、は、詠嘆である。
あはれ・・・





中宮もうちにぞおはしましける。上は「めづらしき人参り給ふ」と聞しめしければ、いとうつくしう御心づかひしておはします。程よりはいみじうされおとなび給へり。宮も、「かく恥づかしき人参り給ふを、御心づかひして、見え奉らせ給へ」と聞え給ひけり。人知れず、「おとなは恥づかしうやあらむ」と思しけるを、いたう夜ふけて、まうのぼり給へり。いとつつましげに、おほどかにて、ささやかにあえかなるけはひのし給へれば、「いとをかし」と思しけり。




中宮も、宮中においでである。主上は、珍しい方が、入内されると、耳にされたので、たいそう、いじらしく気をつけている。
お年に比べて、とても、聡明で、大人びている。中宮も、このように、立派な方が、入内されるのですから、よくお気をつけて、お会いくださいと、申し上げる。
主上は、大人の女は、気がおけるだろうと、思うのだ。
宮は、大変夜が更けてから、参内された。つつしみ深く、おっとりとして、小柄で、華奢な様子。主上は、綺麗だと、思うのである。

前斎宮は、主上より、九歳年上である。




弘微殿には御覧じつきたれば、むつまじうあはれに、心安く思ほし、これは、人ざまもいたうしめり恥づかしげに、おとどの御もてなしもやむごとなくよそほしければ、あなづくりにくく思されて、御宿直などはひとしくし給へど、うちとけたる御わらは遊びに、昼など渡らせ給ふ事は、あなたがちにおはします。権中納言は、思ふ心ありて聞え給ひけるに、かく参り給ひて、御女にきしろふさまにて侍ひ給ふを、かたかだに安からず思すべし。




弘微殿には、なじみになっているので、親しく、可愛く、気安いものに、思い、前斎宮は、人柄も大変、落ち着いていて、気のおける雰囲気である。
大臣に対する態度も、丁寧で、重々しく、主上は、軽々しく扱いにくく思い、御寝は、共にされるが、打ち解けた、子供同士のお遊びに、昼間など、渡りになる。
あちら、こちら、と、区分けている。
あなたがち、とは、女御の方で、こちら、は、源氏方である。
あちらの方に、渡りがちである。つまり、弘微殿の、女御の方である。
権中納言、とは、以前の、頭の中将のこと。
権中納言は、将来、中宮にと、考えて入内させたのに、このように、前斎宮が、入内されて、女御に競争させて、お仕えするのを、何かにつけて、不安に思うのである。

権中納言も、女を、入内させていたのである。





院には、かの櫛の箱の御返り御覧ぜしにつけても、御心離れがたかりけり。その頃おとどの参り給へるに、御物語りこまやかなり。事のついでに、斎宮のくだり給ひし事、さきざきも宣ひ出づれば、聞え出で給ひて、「さ思ふ心なむありし」などはえあらはし給はず。おとども、かかる御気色聞き顔にはあらで、ただ「いかが思したる」とゆかしさに、とかう、かの御事を宣ひ出づするに、あはれなる御気色あさはかならず見ゆれば、いといとほしく思す。




院におかせられては、あの櫛の箱の、お返事をご覧になったことにつけても、諦めにくいのである。
その頃、大臣が、院に参上されたので、しんみりと、話し合いをなさる。
事のついでに、斎宮が、伊勢にお下りになった時の事、以前にも、話されたことがあるので、また、お口に出したが、斎宮に恋する心が、あったとは、打ち明けられない。
大臣、源氏も、そのような、気持ちを聞き知っていたという、顔はしない。
ただ、どう思うかを知りたくて、何かと、斎宮のことを、口にすると、心を動かしている様子に、深い思いと、察する。
たいそう、気の毒に思うのである。

あはれなる御気色あさはかならず
心を動かす、様子が、あはれ、なのである。
それが、深い思いとして、語られる。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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