2010年01月21日

もののあわれ 481

姫君は、さりとも、と待ち過ぐし給へる心もしるく、うれしけれど、いとはづかしき御有様にて対面せむもいとつつましく思したり。大弐の北の方の奉り置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れ給はざりけるを、この人々の、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるを奉りければ、いかがはせむに、着換へ給ひて、かの煤けたる御凡帳引き寄せておはす。




姫君は、いくらなんでも、いつかは、お見えになるだろうと、待ち暮らしていたかいあり、嬉しいが、恥ずかしい姿でお会いするのは、きまりが悪いと思う。
大弐の北の方が、差し上げていた、お召し物の数々も、不愉快な人からの贈り物なので、見向きもしなかったが、老女たちが、香を入れる唐櫃に入れておいたのが、よい香りになっていて、それを差し出したので、どうしようかと思いつつ、着替えたのである。
あの、煤けた御凡帳を引き寄せて、お座りになる。





入り給ひて、源氏「年頃の隔てにも、心ばかりは変はらずなむ思ひやり聞えつるを、さしも驚かい給はぬ恨めしさに、今までこころみ聞えつるを、杉ならぬ木立のしるさに、え過ぎでなむ負け聞えにける」とて、かたびらを少しかきやり分け入り給へれば、例のいとつつましげに、とみにも答へ聞え給はず。かくばかり分け入り給えるが浅からぬに、思ひおこしてぞ、ほのかに聞え出で給ひける。





源氏が、部屋に入り、長年の別離にも、心は、変わらず、あなたを思っていました。何も言ってこないのが、恨めしくて、今まで、様子を伺っていました。目印のような、杉の木立が、はっきりと目に付いて、通り過ぎることもできず、気持ちに負けてしまいました。と、凡帳の帷子を少し引いた。例の如く、遠慮深く、すぐに答えない。このような、草深い家を分け入ってくださった、愛情の深さに、勇気を出して、微かに返事をした。




源氏「かかる草隠れに過ぐし給ひける、年月のあはれもおろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入り侍りつる露けさなどをいかが思す。年頃のおこたり、はた、なべての世に思し許すらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、言ひしに違ふ罪も負ふべき」など、さしも思されぬ事も、なさけなさけしう聞えなし給ふことどももあめり。





源氏は、このような草深い中に、隠れて過ごしていた年月の、あはれも、気の毒なことも、大変でした。自分は、心変わりしないのが、癖なので、あなたの、心中までは、分からないまま、露に濡れて、分け入り、入ってきました私を、どう思いますか。今までの、別れは、誰に対しても、同じものですから、許してくださるでしょう。今後は、お心に叶わないことがありましたら、約束に背く罪も負いましょう、などと、それほど思わないことまでも、情を込めて、仰る様子も、多々ある。

なさけなさけしう聞え
これは、作者の言葉である。





立ち止まり給はむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御有様なれば、つきづきしう宣ひすべして出で給ひなむとす。ひき植えしならねど、松の木高くなりにける年月の程もあはれに、夢のやうなる御身の有様も思し続けらる。



お泊りになるにも、荒れたこの所、それは、具合の悪い様子であり、うまく言いつくろい、邸を出ようとする。自分が植えたものではないが、松の木が、高くなった年月も、あはれに、思い深く、その間の夢のような、有様も、自然に思われる。




源氏
藤波の うち過ぎがたく 見えつるは 松こそ宿の しるしなりけれ

数ふればこよなう積りぬらむかし。都には変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今のどかにぞ鄙の別れにおとろへし世の物語も聞え尽くすべき。年へ給ひつらむ、春秋の暮らし難さなども、誰にかはうれへ給はむとうらもなく覚ゆるも、かつはあやしうなむ」など聞え給へば、


年を経て 待つしるしなき わが宿を 花のたよりに 過ぎぬばかりか

と忍びやかにうちみじろぎ給へるけはひも、袖の香も、昔よりはねびまさり給へるにや、と思さる。




源氏
松にかかる、藤を見て、通り過ぎるのが、躊躇われた。松が、あなたが、私を待つという、宿のしるしだった。

数えれば、年月も、随分経ちました。都に変わった事が多く、あれこれと、心が痛みます。そのうちに、ゆっくりと、田舎での、苦労したことなどの話を申し上げましょう。あなたが、過ごした年月の、生活の苦労なども、私のほかに、誰にも言わないだろうと、信じ切っているのも、変なものです、などと、申し上げると、


長い年月を、お待ちしていても、甲斐のなかった私の宿を、藤の花をご覧になるついでに、立ち寄ってくださっただけでしょうか。

と、忍びやかに、身動きされた気配も、袖の香りも、昔より、大人になったと、源氏は、思うのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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