2010年01月16日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 16

その日は、ビーチに突き出た、ヌラバヤ公園に出掛ける。
昨日、支援した場所から、川を渡り、向こう側に行く。

暑くなる前、昼前に出ることにした。
しかし、日差しは、強い。

支援物資の、バッグを二つと、日の丸を掲げて、行く。
昨日、支援した場所を通ると、おじさんの一人が、私に手を振り、ズボンを示して言う。
サンキュー
ああ、差し上げた物を、履いているのだ。

私たちは、漁師たちのいる、場所に行き、向こう側へ行きたいと、言うと、オッケーと、答えるので、船に乗ることにした。

ところで、幾らか。
料金を尋ねると、一人の、おじさんは、8万ルピア、そして、もう一人の、おじさんが、10万ルピアという。

何で
向こう側に、行くだけなのに・・・

船が、私たちに、向かってくる。
一寸、待って。

何で、10万ルピアなんだ・・・・

私は、冗談じゃあない。向こう側に渡るのに、何で、10万ルピア、1000円も、かかるのだーーーーと、叫んだ。
そして、更に、何言ってんだ。冗談じゃあない。10万ルピアなんて、冗談じゃあない。

私の剣幕に、驚く、漁師たち。

船が近づいたが、私は、そこを立ち退いた。
コータが、後に続く。

更に、冗談じゃあないと、大声を上げた。

そこから、少し歩くと、向こう側へ渡る、渡し舟がある。
少年二人が、やっていた。
幾らと、聞いた。
5000ルピア、50円である。

後で知るが、漁師たちは、クルーズをさせたかったようである。
川から海に出て、戻り、向こう側に付けるという。

彼らは、大声を嫌うらしい。
相当に、驚いたと、思う。
何せ、私の声は、ただでさえ、大きいのである。

川を渡り、私は、すぐに、川と海の間で、慰霊の儀を行った。
日の丸を掲げて、清め祓いの、祝詞を唱える。

周囲の人も、注目である。
子供たちも、多数集まった。

小さな、市場で、魚の競りをしていた。
漁師たちが、そこで、捕れた魚を、売るのである。

そこを通り過ぎて、一つの、入り口に向かった。
小屋が、立ち並ぶ。

小高い山の、麓になる。

まず、最初の、小屋から、衣類が必要ですかと、問う。
すると、すぐに、人が集った。

それから、先は、無我夢中である。
若い男が、赤ん坊の、衣類が欲しいと、言ったのが、印象的だ。

次から次と、人が来た。
その集落の人々に、伝わったのか、人が大勢、詰め掛けた。

私は、汗だくになり、バッグから、衣類を取り出した。

コータが、写真を撮るが、ある、おじさんが、ここは、昔日本軍の、要塞だったと言う。
その、おじさんが、私たちを、誘導した。
すると、何と、防空壕や、大砲のある場所がある。

私が、感動したのは、汗だくの、私に、一人の、おばさんが、小さな水の、冷えたペットボルトを、持ってきたことだ。

そこでは、ペットボトルの水は、普段は、飲まない。とても、貴重なものである。
それを、私に、渡してくれた。

更に、おじさんは、私たちに、日本軍の道を案内した。
しかし、私たちは、道が、分かったので、上まで、歩いてみると、案内を、遠慮した。遠慮して、良かった。
歩いて、それが、とんでもなく、長い道であることを、知った。

浴衣を着ていた私は、汗が噴出して、絞るほどになった。
更に、上に向かうと、心臓が、飛び出しそうになる。
コータが、心配して、私を、制する。
しかし、歩みを止めると、先に進まなくなると、私は、登った。

不整脈の心臓が、高鳴る。

日本軍が、この、小高い山を、要塞にして、防御していたのである。

ついに、上まで、登った。
そこは、パダンのビーチが、見渡せる場所である。
ああ、ここなら、海岸に、近づく、敵を、すぐ、見つけられることが出来る。

美しい、パダンの、海が見渡せる。
無人島が、沢山ある。

私は、その頂上で、祝詞を唱えた。

丁度、昼時だった。
地元の、恋人であろう、若い男女が、昼ごはんを、食べていた。

私たちは、その、頂上で、写真を撮るために、男に、声を掛けた。
彼は、快く、私たちを、写してくれた。

今度は、下りである。

私は、下る時に、日の丸を掲げて、日本兵の苦労を、思い、祝詞を唱え続けた。
途中、中途で、止まり、祈る。

祈る。
祈る。

遠く、故国を離れた、日本兵の、思念を清め祓う。

すでに、多くの方は、亡くなっているだろう。
戦闘は、少なかったはずである。

そして、下り、先ほど、小屋が建つ場所に戻ると、皆さんが、待っていた。
感激した。

言葉は、解らないが、慰労してくれる。

日本軍の、要塞跡の、上に立てた小屋は、地震でも、倒れなかったという。

実に、頑丈に建てたものである。

皆さん、親切だった。

防空壕や、砲台のある場所で、写真を撮ってくれた。

日本軍によって、殺されたインドネシア人もいるのである。
日本軍の、統治に反対した人々である。

しかし、反日感情は、希薄であり、逆に、親日感情が、厚い。
何故か。
それは、日系人が、多いのである。

尋ねると言うが、尋ねないと、言わないのである。

私は、あの、大東亜圏という、意識を、再度、確認した。

何故、私という、日本人に、やさしく接するのか・・・
彼らの中に、日本と言う、イメージが、悪くないのである。
インドネシア独立戦争に参加した、日本兵の存在が、大きいことは、言うまでも無い。



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