2010年01月13日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 13

ホテルに戻り、少し休憩する。
そして、私は、浴衣に着替えた。
二つのバッグを持って、出掛けた。

先ほどの、小屋が建ち並ぶ、地区へ出掛けた。

パダンの日差しは、とても、強い。10分もすると、日焼けする。
更に、昼間は、暑い。

ホテルが、ビーチに近くて、良かったのである。

まず、入り口から、挨拶して入ると、赤ん坊を抱いた、若い男がいた。
必要ですか、と、衣服を見せる。
頷く。

赤ん坊の衣類を出して、渡す。
すると、奥から、男が出てきた、こっちへ来てくれと言ってように、聞こえた。
奥に入ってゆく。

少しずつ、人が出て来た。

私を呼んだ男が、子供が三人いるという。
ボーイが、二人、ガールが一人である。
そこで、衣服を出した。

私が、衣服を広げると、皆が寄って来た。
必要なものを、勝手に取り始める。

どんどんと、人が出て来る。
そして、最後に、一人のイスラムの衣服をした、おじいさんが、出て来た。

彼は、その地区のリーダーである。
私たちは、丁寧に挨拶した。
向こうも、手を差し伸べてくる。
握手をして、コータが、英語で、話した。

インドネシアの人が好きです。イスラムの人たちが、好きです。

おじいさんは、頷いて聞いた。

女の子の服が、沢山ある。
それぞれが、取るが、まだ、余っている。
すると、一人の、おばあさんが、それらを、皆、かき集めて、胸に抱く。
先ほどの、男が、自分の母親だと、紹介する。
おばあさんは、他の人のために、かき集めたのだろう。

最後に、フェイスタオルを取り出すと、皆が、駆け寄って、取る。
歓声が上がる。
タオルは、貴重品である。

どこでも、喜ばれた。

汗を流して、すべての、衣類を差し上げた。

私たちに、場所を教えた、若者が、入り口の、自分の小屋の前で、サンキューと言う。

時間にして、15分足らずの支援である。

入り口を出ると、一人のおじさんが、私たちにも、下さいと言うように、聞こえた。
そこで、明日、持って来ると、言った。

ある程度の、英語が通じるのが、助かった。

その辺一帯は、漁師たちの、生活の場である。
もしくは、ビーチに、店を出している人たちである。

しかし、見るところ、ほとんど、商売には、なっていない。

更に、地震の後は、観光客も来ないのであるから、生活は、大変であろうと、想像した。

そこから、川と、海の交わる場所に出て、小さな港を見た。
向こう側が、明日行く場所である。
そこで、慰霊を行い、支援を行う予定である。

渡し舟があり、明日は、それに乗ることにした。

まさか、そこに、日本軍が基地を作ったとは、知らない。
防空壕や、大砲まで、あったのだ。

ホテルまで、歩いて帰る。
一時間ほどの時間だったが、汗だくである。

ペットボトルの水を買う。
一本、5000ルピアである。
二本買い、一万ルピア、100円である。

ホテルに戻り、浴衣を、干す。クリーニングには、出せないので、干すしかない。明日も、着る予定である。

夏物の、絽の着物などは、着られない。
それほど、汗が酷いのだ。

シャワーを浴びて、ベッドに横になる。
それが、一番の休憩である。

ホテルの近所には、沢山の、レストランや、食堂がある。
食事をする場所に、困ることはない。

朝食は、ホテルで出る。

食べ物に関しては、何も、心配がなかった。

夜は、カラオケもある、ホテル前の、レストランに行くことにする。
そこで、まさか、日本の歌を歌うとは・・・

それまで、部屋で、休んだ。




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