2010年01月12日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 12

隣の部屋の、若者二人は、私たちより、先に部屋を出た。
友人と会うと言っていた。

私たちも、チェックアウトの時間、12時に合わせて、出る準備をする。
フロントで、タクシーを頼む。

次のホテルに、行く前に、タクシーで、少し、街中を見て回ろうと思った。

今回の慰霊では、線香を使いたいと思い、タクシーで、それを買おうと思った。が、タクシー運転手が、中々、理解しない。
更に、乗り込んで走り始めたが、メーターを下ろさないのである。

私は、メータと、指したが、パダンでは、メーターは、使わないと言う。
これは、嘘だと、思い。それでは、幾らかと、聞くと、一時間、10万ルピアという。
1000円である。

それでは、一時間有効に使おうと思った。
街中の、倒壊した建物の前では、止まり、写真を撮った。
至る所に、倒壊した建物がある。
ほとんどは、ホテルだった。
瓦礫の山も多い。
そのままにしてある、建物が目に付いて、驚いた。

中華街の入り口で、止まった。
中国寺院がある。
ああ、線香があるということだ。
確かに、入り口に、線香があった。それは、お参りする人のためである。
私は、その一つの束を取って、一応、お参りの形をすると、中にいた、中国人の、おじさんたちが、声を掛けてくる。

日本語で、ありがとうと、言う。
線香を頂いたので、布施箱に、5000ルピアを入れた。すると、また、ありがとうと、言われた。

ほんの少しの時間を過ごして、また、タクシーに乗り込む。
ビーチ沿いに出て、川を越える、橋を渡る。
公園になっている場所を、走った。
だが、そこには、沢山の家というか、小屋が建っている。

小高い山が、ビーチに突き出ている形だ。
そこの山に登ることになるとは、考えなかった。

川岸で、タクシーを止めて、日の丸を取り出し、簡単に祝詞を、唱えて、慰霊をした。
周囲の人や、子供たちが、集まってきた。
その時は、荷物が、車のトランクにあるので、渡すことが出来なかった。
明日、もう一度、来ることにする。

そして、ホテルのある場所に、戻ることにした。
一時間は、かかっていない。
支払いを、コータに任せた。

コータが、運転手に幾らかを問うと、運転手は、幾らでもと、言ったらしいので、コータは、五万ルピアを出すと、いや、足りないと言った。では、幾らかと、問うと、10万と言うのである。

兎に角、最低、10万ルピアが、欲しいのである。
確かに、タクシーは、大変である。
ほとんど、利用する人がいない。

地元の人たちは、ミニバスを利用する。観光客が少ないので、タクシーは、上がったりである。

私たちも、ミニバスを利用することにした。
一度の料金が、2000ルピア、20円である。

遠くても、乗り継ぎして、行けばよいのである。

以後、帰りの空港以外は、タクシーに乗らなかった。

ホテルの部屋は、フロントの横である。
これは、安全である。
必ず、24時間、フロントには、人がいる。
見張りがいるから、安心出来る。

最低のものが揃っていた。
シャワー、ホットシャワーであり、トイレも、手動の、尻拭き水がある。
尻拭き水とは、私が、命名した。
手動で、水が出るのである。
それだと、手を使うことがない。

ところが、幸運が訪れる。
翌日の朝、夜に雨が降ったせいか、雨漏りが、はじまった。
それを、すぐに、フロントの女の子に言うと、部屋を替えてくれるという。
そして、新しい部屋に入る。ところが、その部屋のトレイの水が、流れないのである。
これでは、糞をするたびに、バケツに水を汲んで、流さなければならない。
また、早速、それを言うと、今度は、申し訳ないので、料金の高い部屋にと、移動させられた。

その部屋が、一番上等の部屋だった。
そこに、同じ料金で、三泊する事が出来た。
バスタブの付いている、広い、バスルームであり、部屋自体も広い。
更に、ツーベッドである。
三四人が泊まれる部屋である。

その部屋も、フロントの目の前の部屋であるから、安全である。

その部屋に、荷物を入れて、落ち着いた。

いよいよ、計画通り、慰霊と、支援の予定である。

散歩がてらに、昼の食事をすることにした。
コータが、食べたという、レストランに入ることにした。

パダン料理であるが、洗練された雰囲気である。
ジュースも、絞りたてが出る。
その、トマトジュースが、旨かった。

料金は、少し高めである。
二人で、500円程度だった。

その後、ビーチに出た。
そこで、支援の必要なところを、探した。

コータが、イスラムのモスクのトイレに入っている間、一人の、サーファーから、声を掛けられた。
日本人も、サーファーに来ると言う。
そこで、私は、衣服があるが、必要なところがあるかと、尋ねると、目の前の、一角を指して、そこの、グループは、貧しいと言う。

更に、この辺りは、皆、貧しいと言う。
確かに、小屋が、固まっている。

コータも出てきて、話をした。
結局、彼も、そこに住まいがあった。
驚くべき、小屋だった。
三畳ほどの、小屋に、半分ほどの、板の間がある。
そこで、寝るのだろうと、予想した。

夕方、もう一度、衣服を持参して、来ることにした。

一度、ホテルに戻り、休む。



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