2010年01月05日

最後の沈黙を破る 35

公立学校の、教師たちが、国歌斉唱の際に、起立しないのは、良心であり、強制されるのは、良心の侵害であると、言う。

いつまでも、こんなことを、やっていられるのか。
それは、日本が、実によい国だからである。

国歌斉唱の際に、起立することを、教育するのは、子供たちに、世界の常識を教えるということである。

日本にいて、どこの国にも、行かないというならば、それでいい。
しかし、国際社会と、関わらずに生きることの出来ない時代である。

国歌斉唱の際に、起立するのは、世界の常識であるということを、教えるものであること、重々言っておく。

どこの国に、行っても、その国の、国旗や、国歌に対しての、礼儀があり、更に、その国独自の、貴いとされるものがある。

日本の若者は、外国に出掛けて、非常に恥ずかしい真似をする。
例えば、タイに行き、仏像の上に全裸で乗るという。
タイは、上座部仏教の国である。
知らないとして、許されることではない。

更に、戦争犠牲者の、メモリーパークなどでの、行為等々。
イタリアの大聖堂に、落書きしたという、アホもいる。

これ、すべて、教育の成果である。

言論の自由であるから、校舎を離れれば、自由であるが、校舎の中にいて、教師である以上は、公人である。

その立場というものを、考えての、良心の自由だろうか。
サヨク系といわれる人たちに、多い。

そのサヨク系の人たちが、好きな中国では、どうか。
そんな真似をすれば、どんなことになるのか。

また、イスラムの国に行けば、どんなことになるのか。
甚だしい場合は、その場で、射殺されても、文句は、言えない。

強迫神経症である。

国旗や、国歌に対して、あらかじめ、特殊な観念を植え付けられたのである。
洗脳である。

国旗掲揚に際しても、起立するのが、常識である。
世界の常識でもある。

日教組が幅を利かせる地域では、先生が、子供たちに、国歌を教えず、更に、国歌斉唱の際に、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、言う。

それ以前に、子供たちが、国歌を知らないという、例が多々ある。

良心という言葉を、出す前に、礼儀作法というものが、優先される場が多々あるということである。

日教組、労働組合などの、組合組織というのは、サヨク系であり、礼儀作法を知らないことでも、有名である。
自分たちの、作法は、人に求めるが、全体の作法は、無視する。

とんでもない、組織であり、それが、教育の現場にいるという、事実は、いかなることか。

日教組は、日教組で、学校を作り、日教組の教育をすれば、いい。
と、私は思う。

更に言う。
教師の、隠微極まる事件が多い。
少女売春などは、実に教師に多い。

まさか、それも、良心の自由とは、言わないだろう。

日本は、法治国家であるから、法に則って、裁かれる。

自由があれば、義務がある。

義務は、礼儀作法にも、関わってくる。

どうしても、国歌斉唱に、起立できないというなら、私立学校の、教師になるべきである。

天皇陛下でさえ、強制の無いように、と、仰せられた。
実によい国、日本である。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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