2010年01月04日

もののあわれ 454

かやうのついでにも、かの五節を思し忘れず、「また見てしがな」と心にかけ給へれど、いと難き事にてえまぎれ給はず。女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふ事もあれど、世に経む事を思ひ絶えたり。




このついでに、あの五節、ごせち、を、忘れない。
もう一度、見たいものだと、いつも思うが、大変難しいことで、とても、お忍びで、行くことはできない。
親は、何かと、結婚のことを、持ちだすが、独身で、通す覚悟である。




「心やすき殿つくりしては、かやうの人集へても、思ふさまにかしづき給ふべき人も出でものし給はば、さる人の後見にも」と思す。かの院のつくりざま、なかなか見所多く、今めいたり。よしある受領などを選りて、あてあてにもよほし給ふ。




気兼ねのいらない、邸を作り、このような人を集めて、思うように、育てる子が、生まれたら、そういう人の、世話役にでも、と、思われる。
その邸の、つくりは、本邸のつくりよりも、見栄えが多く、華やかである。
良い受領などを、選んで、分担させて、急がせる。




尚侍の君、なほえ思ひ放ち聞え給はず。こりずまに立ちかへり、御心ばへもあれど、女は憂きにこり給ひて、昔のやうにもあひしらへ聞え給はず、なかなか所せう、さうざうしう、世の中思さる。



ないしのかみのきみ、を、今も思い切ることは、出来ない。
失敗に、懲りずに、昔通り、気持ちを見せるが、女は、苦しさに、耐えられず、昔のように、お相手にされないのである。
源氏は、かえって、窮屈を感じて、物足りなく、毎日を、思う。


こりずまに立ちかへり
こりずまに またもなき名は 立ちぬべし 人にくからぬ 世にし住まへば
古今集

世の中思さる、とは、二人の仲のことである。





院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御更衣、みな例のごと侍ひ給へど、東宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めき給ふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれ給へりしを、かくひき違へ、めでたき御さいはひにて、離れでて宮に添ひ奉り給へる。この大臣の御宿直所は昔の淑景舎なり。梨壺に東宮はおはしませば、近隣りの御心よせに、何事も聞えかよひて、宮を後見奉り給ふ。




院は、気軽になって、四季折々に、趣のある、遊びをされ、ご機嫌よくいらっしゃる。
女御や更衣は、御在位当時から、お仕えされているが、東宮の御母、承香殿女御だけは、特別、華やかな方でもなく、尚侍の君の、寵愛に消されていらした。今は、打って変わり、結構な幸せで、院の傍を離れて、東宮に、付き添っていらっしゃる。
源氏の大臣が、使用している、御部屋は、昔の、淑景舎である。
梨壺に、東宮がおられるので、隣同士であるから、何事につけても、話し合いして、東宮の、お世話も、される。




入道の后の宮、御位をまたあらため給ふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜はらせ給ふ。院司どもなりて、さまことにいつくしう、御おこなひ功徳の事を、紫の御営にておはします。年頃世に憚りて、出で入りも難く、見奉り給はぬ嘆きをいぶせく思しげるに、思すさまにて、参りまかで給ふも、いとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。大臣は事に触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心よせ聞え給ふも、なかなかいとほしげなるを、人も安からず聞えけり。





入道皇后の宮とは、藤壺のこと。
皇后の宮は、出家の身であり、位を、皇太后に改めるべきではないので、太上天皇、上皇に倣い、御封戸を頂戴した。
大勢の、事務官が、任命され、格段に立派であり、勤行や、功徳の仏事を常のこととして、行われる。
この、幾年、世間への、遠慮から、御所への出入りも、難しく、御子に逢えないという、嘆きを、辛く思っていた。
今は、心のままに、参内されるのは、まことに、結構な有様で、皇太后は、辛い成り行きと、嘆くのである。
源氏の、大臣は、何かにつけて、大后が、恥じ入られるほど、よく仕えており、好意を見せるので、かえって、具合が、悪いようである。
世間の人も、とやかくと、噂した。


皇太后とは、前帝の母である。
現在の帝の母は、藤壺である。そして、源氏の子でもある。

新しい東宮は、朱雀院の子である。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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