2010年01月03日

もののあわれ 463

うち返し見給ひつつ、源氏「あはれ」と長やかにひとりごち給ふを、女君しり目に見おこせて、紫の上「浦よりをちに漕ぐ舟の」と、しのびやかにひとりごちながめ給ふを、源氏「まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただかばかりのあはれぞや。所の様など、うち思ひやる時々、来し方の事忘れ難きひとりごとを、ようこそ聞きすぐい給はね」など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。テなどのいとゆえづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と思す。





何度も、手紙をご覧になり、源氏は、あはれ、と、長く溜め息をつくのを、女君は、横目で、ご覧になり、浦より漕ぐ舟の、私は、放っておかれる、と、そっと、独り言を言い、沈み込む。
源氏は、本当に、これほど、邪推されるとは。これは、ただ、これだけのこと。明石の風景を思い出す時々、昔のことが、忘れ難いので、つい、独り言が出るのに、あなたは、聞き流してくれない、などと、恨み言をいう。
手紙の、表だけを、見せる。
筆跡などは、大変趣があり、身分のある人にも、引け目を感じそうなので、これほどゆえに、愛情が深いのだと、紫は、思う。

源氏の、あはれ、とは、嘆息である。
感嘆詞である。
思い極まり、あはれ、と言う。





かくこの御心とり給ふ程に、花散里をかれはて給ひぬるこそいとほしけれ。おほやけ事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目驚く事のなき程、思ひしづめ給ふなめり。
五月雨、つれづれなる頃、公私もの静かなるに、思しおこして渡り給へり。



このように、紫の、ご機嫌をとりつつ、花散里を、放っておいては、気の毒なことだと、政治も、忙しく、簡単に動けない身分であり、遠慮があるゆえに、見事なと、目を覚ますほどのことを、言わない限り、つい、そのままにしておかれると、思われる。
五月雨で、何も出来ないので、公私共に、暇になり、腰を上げて、お出かけになった。


作者の感想が、入り、実に、複雑な、文になっている。
物語の難しさは、誰のことなのかと、佇むところである。
突然、作者の解説が、入るのである。




よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやりとぶらひ聞え給ふを頼みにて、すぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくき様に、そばみうらみ給ふべきならねば、心やすげなり。年頃に、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。女御の君に御物語聞え給ひて、西の妻戸には夜ふかして立ち寄り給へり。月おぼろにさし入りて、いとどえんなる御ふるまひ、尽きもせず見え給ふ。いとどつつましけれど、端近ううちながめ給ひけるさまながら、のどやかにてものし給ふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、

花散里
水鶏だに おどろかさずは いかにして 荒れたる宿に 月をいれまし

と、いとなつかしう言ひ消ち給へるぞ、「とりどりに捨て難き世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」と思す。

源氏
おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそいれ

うしろめたう」とは、なほ言に聞え給へど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年頃待ちすぐし聞え給へるも、さらにおろかには思されざりけり。「空ながめそ」と、頼め聞え給ひし折の事も宣ひ出でて、花散里「などて、類あらじと、いみじう物を思ひしづみけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」と、宣へるも、おいらかにらうたげなり。
例のいづこの御言の葉にかあらむ。つきせずぞ語らひなぐさめ聞え給ふ。



離れているが、明け暮れ、朝に夕に、何から何まで、心ある、お世話を頼りに、日を送る人である。
行かずにても、無愛想な顔をしたり、すねたり、恨んだりするはずものないこと、だから、安心である。
この何年間に、ますます、荒れが酷くなり、凄い雰囲気の、住まいである。
まず、女御の君と、お話されて、西側の戸口には、夜が更けるのを、待って、お立ち寄りになる。
月が、朧に差し込んで、君の姿が、いっそう、優美で、立ち居振る舞いの様子も、立派である。
それゆえ、花散里は、気が引ける。
端近くに座り、思いに耽る、その様子のまま、慌てず、騒ぎもしない様子は、まことに、難がない。
水鶏が、すぐ近くで、鳴いた。

花散里
水鶏でも、戸を叩いてくれませんでしたら、この荒れた宿に、月を、あなた様を、向かえることができましょう。

と、何事もなく、やさしく仰る様子。
源氏は、どの女も、皆、良いところがあり、それでかえって、私は苦労するのだと、思う。

源氏
いつでも、戸を叩く音で、開けていたら、思わぬ月も、変な人も、入ってくるでしょう。

気になります、と、仰るが、そのような、不実な、性格を、疑うような人ではない。
それどころか、須磨退去以来、ずっと、待ち続けてくれたことを、決して、いい加減に、思ってはいないのだ。
源氏は、空を眺めるな、と、約束された時の、ことなどの、お話ができて、花散里は、あの時は、どうして、ほかに、又とあるまいと、酷い嘆きをしたのでしょう。哀れな私には、どちらも、同じ嘆きでしたのに、と、仰る様子も、穏やかで、可愛らしい。
源氏は、例の通り、どこから、出てくるのか、やさしい言葉の限りを尽くして、慰めるのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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