2010年01月02日

最後の沈黙を破る 32

平成22年が、はじまった。

まず、最初に、このところの、人心の乱れについて。

その元にあるものの、ひとつに、日本の音楽教育にあると、言われること、知る人は、少ない。

小学校から、中学、義務教育ではないが、高校まで、入れて、西洋音楽教育を主にした、音楽というものの、教育が、行われる。

音楽教師というのは、音楽しか出来ないという、特異体質か、頭の程度が、低レベルということを、皆知らないようで、それらが起こす、混乱は、余りある。

例えば、人には、それぞれ、音感というものがある。
実に、個性豊かなものである。

同じメロディーを歌っても、人それぞれ、調子というものがある。

それを、完全無視するか、音楽、つまり、西洋音楽という、権威で、威圧的に、決め付けて、裁く。

個々の、実例は、面倒なので、上げない。

だが、メロディーが、同じでも、ドレミの音階だけでしか、教育できないゆえに、人格固定まで、至ることもある。

音楽教師の、低レベルと、頭の悪さで、転調が出来ないから、子供が出した音が、ドでなければ、違う、音程が狂っていると、決め付けることになる。

和楽では、決して、そんなことは、あり得ない。
あっ、その音でやる、それなら、それで、やりましょう、である。

転調、移調が、出来ないゆえの、教師の質の問題なのが、子供の質が、悪いということになるのである。

こんな、馬鹿げた、教育が、どこにある。

教師の質が、悪いのに、子供の方が、悪くなるという、悲劇である。

まず、芸大というものを、潰して、欲しいと、願う。
大半が、知能レベル低く、更に、大学卒という、肩書きを、欲して、入学するのであり、全く、人格も、学識も、レベルが低すぎる者、多数。

頭が悪いというのが、一番悪い。

頭が悪いというのは、学校の成績が良いというのではない。
臨機さに、欠ける、ということである。
つまり、馬鹿は、死んでも、馬鹿なのである。

東大法学部を、出ても、馬鹿がいる。

特に、音大は、学問も出来ず、馬鹿のままで、大学卒になるので、どうしようもない、馬鹿なのである。

情操教育としての、音楽を教えるならば、実に、実に、優秀な、人材を、起用しなければならない。

オペラ歌手のように、歌うことを、教えるような、馬鹿な先生を、音楽教師にしていては、国が滅びるほどのことになる。

今、教育の場で、情操教育といえば、音楽程度が、あるのみである。

それが、こんな状態ならば、後が無い。

バリ島で、他の、東南アジアの国で、民族音楽を、教えている。
それは、また、貧しいがゆえのことだが、西洋音楽で、人格破壊されるより、実に増しなことである。

であるから、いずれ、東南アジアなど、民族音楽を習う子供たちが、世界の主役になる。

日本は、廃人だらけである。

どう、見積もっても、日本の、日本人の命は、短いのである。

伝統など、何も知らない、団塊の世代の、子供たちが、どのようになっているのかを、見れば、一目である。

真っ当な、日本語教育さえ、しない。
挨拶まで、出来ない、団塊ジュニアである。

勿論、全部といっているのではない。
しかし、確実に、音楽教育で、殺された、多くの人たちがいる。

転調さえすれば、問題ないことを、教師の力量が、無いために、一生、音楽と、音から、切り離されて生きる人もいる。

音楽の、素晴らしさを、などと、言う者は、大半が、アホである。

音楽とは、何かを語らせたら、何も言えないのである。
つまり、音楽は、楽譜だと、思い込んでいるのである。

絶対音感という、馬鹿げたことも、ある。
すべての、音が、音階となって、聞こえる。更に、何分の何まで、解る、云々。
十分に、病気である。

それも、障害の一つである。

日本人は、その風土により、味覚、聴覚、視覚も、他の民族と、違う。
実に、優れている。
味覚などは、日本人の右に出る民族はいないのである。

あの、出汁をとっただけの、汁を、旨いと感じられる舌がある。
音も、そうである。

微妙繊細な、音を、聴く。
それは、日本の風土なのである。

それを、壊した。
音楽教育が、である。

それから、食べる物が、餌になった。

貧しい、アジアの国に出掛けて、アメリカジャンクフードを、食べることがある。
そして、あの、コーラーという、毒の飲み物。
日本では、決して食べないのである。

それさえも、食べられれば、幸せな場所があるという、ことではない、日本の場合は。

完全に、あれでも、やられた。

行列して、それを買い求め、食べる、人という、動物に成り果てた。
音楽教育の成果である。

繊細微妙なものを、すへで、音階にしてしまった。

日本の、歌謡の歴史は、実に、古い。
即座に、転調できる。移調できる、能力があった。

その音で、いきましょうか

誰もが、自分の持つ音で、歌謡を楽しめた。

更に、歌の途中から、調子まで、変更するという、芸である。

私は、素人であるから、これ以上は、書かないでおく。

兎に角、私が、為政者なら、まず、芸大、音大を、焼き討ちにする。

更に、喧しい、女たちの、ソプラノという、声楽家と、名乗る人々を、磔、火炙りにする。

あれらを、真っ当に聴いていたら、確実に、頭が、やられる。
彼らは、すでに、やられて、久しい。

大和言葉では、それらを、あはれ、という。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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