2009年12月03日

もののあわれ 433

日やうやうさしあがりて、心あわただしければ、かへりみのみしつつ出で給ふを、見送り給ふけしき、いとなかなかなり。中将「いつまた対面は」と申し給ふに、あるじ、

源氏
雲近く 飛びかふたづも 空に見よ 我は春日の くもりなき身ぞ

かつはたのまれながら、かくなりぬる人は、昔のかしこき人だに、はかばかはう世にまたまじらふ事かたく侍りければ、何か、都のさかひをまた見むとなむ思ひ侍らむ」など宣ふ。宰相、

中将
たづかなき 雲居にひとり ねをぞなく 翼ならべし 友を恋ひつつ

かたじけなく慣れ聞え侍りて、いとしもと悔しう思ひ給へらるる折おほく」など、しめやかにもあらで帰り給ひぬるなごり、いとど悲しうながめ暮らし給ふ。




陽が、次第に昇り、心せわしく、振り返り振り返り、出られるのを、お見送りされる様子は、会わなければよかったと、思うほどである。
中将は、いつ、また、お目にかかれますかと、おっしゃると、あるじは、

源氏
雲居近く、飛び交う鶴は、空から、君は、宮中から、御覧なさい。私は、春日のように、一点の、やましさもない、身です。

帰京を願う者、でも、このようになった者は、昔の、優れた人でさえ、世に再び出ることは、難しいのです。もう、都を再び、見ようとは、思いません、などと、おっしゃる。
宰相

中将
心細い、雲居に、一人声を上げて、泣いています。翼並べて、育った君を恋い慕いつつ。

もったいなくも、親しくしていただき、いとしも、と、悔しく思われることが、多くあります、など、しんみりとして、話すこともなく、帰った後は、ますます、悲しく、思い沈んで、日を過ごすのである。





やよひのついたちにいできたる巳の日、「けふなむ、かく思すことある人は禊し給ふべき」と、なまさかしき人の聞ゆかしうて出で給ふ。いとおろそかにぜじやうばかりを引きめぐらして、この国にかよひける陰陽師召して、祓へさせ給ふ。舟にことごとしき人形のせて流すを見給ふにも、よそへられて、

源氏
知らざりし 大海の原に 流れ来て ひとかたにやは ものは悲しき

とて居給へる御さま、さる晴れにいでて、いふよしなく見え給ふ。




弥生の一日に、とは、最初の巳の日に、今日こそ、このように、ご心配がある方は、禊をなさるものですと、知ったかぶりをする者が、申し上げると、海辺を見たくて、出掛けることにした。
いかにも、粗末な、ぜじやうばかり、一色の布で、松などを描くものを、張り巡らすのである。
この国に、行き来している、陰陽師を召して、祓いをさせる。
舟に、仰々しい、人形を乗せて、流すのを、ご覧になると、我が身に、見えてしまい、

源氏
身も知らぬ、大海原に流れて、一方に、悲しく思う。悲しいことは、数多い。

と、座っておられる様子は、広い明るい場所に出ると、言いようもなく、見える。
例えようもなく見えるのである。
これは、作者の思いである。




海のおもてうらうらと凪ぎわたりて行くへも知らぬに、来しかた行くさき思しつづけられて、

源氏
やほよろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪の それとなければ

と宣ふに、にはかに風吹きいでて、空もかきくれぬ。御祓へもしはてず、立ち騒ぎたり。ひぢかさ雨とか降りきて、いとあわただしければ、みな帰り給はむとするに、かさも取りあへず。さる心もなきに、よろづ吹きちらし、またなき風なり。波いといかめしう立ちて、人々の足をそらなり。海のおもてはふすまを張りたらむやうに光みちて、雷鳴りひらめく。落ちかかるここちして、からうじてたどり来て、「かかる目は見ずもあるかな。風などは吹くも、けしきづきてこそあれ、あさましうめづらかなり」と惑ふに、なほやまず鳴りみちて、雨のあし、あたる所通りぬべく、はらめき落つ。「かくて世は尽きぬるにや」と、心細く思ひ惑ふに、君はのどやかに経うち誦しておはす。暮れぬればかみ少し鳴りやみて、風ぞ夜も吹く。





海上は、うらうらと、一面に凪て、果ても分からない。来し方、行く末のことが、次々に心に浮かび、

源氏
八百万の神々も、私をあはれと、思ってくださるのだろう。これといって、犯した罪はないのだ。

と、おっしゃると、急に風が吹き出し、空も、真っ暗になった。
お祓いもし終えず、立ち騒いで、いる。
ひじ笠雨も、降ってきた。
ひどく、慌しく、皆、帰ろうとするが、かさを取ることもできない。そのような、気配も無かったのに、あたり一面、吹き散らし、大風である。
波も、荒々しく立ち、人々の足も、地につかないのである。
海の表面は、白布を敷いたように、一面に、きらきらして、雷が鳴る。今にも、落ちるような気がして、やっと、家に辿り着いて、こんな日に遭ったことはない。風が吹くにしても、その前触れがあった。呆れる。実に妙なこと。と、うろうろする。
まだ、鳴り止まずに、鳴り渡り、雨の脚は、当たるところが、突き通るように、ぱらぱら落ちる。
このまま、世も、終わるのかと、心細く思うが、君は、ゆっくりと、経を読んでいる。
日の暮れた頃、雷も、少し止み、風が夜中、吹いている。




「多くたてる願の力なるべし。いましばしかくあらば、波に引かれて入りぬべかりけり。高潮といふものになむ、とりあへず、人そこなはるるとは聞けど、いとかかる事はまだ知らず」と言ひあへり。



色々、立てた、願いの力に、ちがいない。もうしばらく、このままだったら、波に呑み込まれて沈むところだった。
高潮というもののせいで、あっという間に、人の命が、失われると、聞いたが、こんなことは、未だ、見たことがない、と、言い合う。




暁がたみなうち休みたり。君もいささか寝いり給へれば、そのさまとも見えぬ人きて、「など、宮より召しあるには参り給はぬ」とて、たどりありくと見るにおどろきて、「さは海のなかの竜王のいといたうものめでするものにて、見いれたるなりけり」と思すすに、いとものむつかしう、この住まひたへ難く思しなりぬ。



明け方、皆、うとうとしていた。君も、少しまどろんでいたところ、誰とも、分からぬ者が来て、何故、宮からお召しがあるのに、いらっしゃらないのか、と、探し回っている夢を見て、目を覚まし、これは、海の中の、竜王が、美しい者を好み、私を見初めたのだと、思うと、酷く気味悪く、この住まいも、耐え難い気持ちになった。

須磨の、段を終わる。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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