2009年11月22日

もののあわれ 422

おはすべき所は、行平の中納言の、藻塩たれつつわびける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり。垣のさまよりはじめてめづらかに見給ふ。茅屋ども、葦ふける廊めく屋など、をかしうしつらひなしたり。所につけたる御すまひ、やうかはりて、「かからぬ折りならば、をかしうもありなまし」と、昔の御心のすさび思し出づ。





お住まいになる、予定のところは、行平の中納言が、藻塩たれつつ、わび住まいした家の近くである。
海岸から、入り込んで、あはれにすごげなる、何とも凄いところである。
垣根の様から、珍しくご覧になる。
茅屋は、葦でふいた廊のような建物など、面白い造りである。
この土地らしい、住居は、様子も変わり、こんな時でなければ、風情もあるものをと、昔の、心の、すさびを思い出す。





近き所々の御荘の司召して、さるべき事どもなど、良清の朝臣、親しき家司にて、仰せ行ふもあはれなり。時の間に、いと見所ありてしなさせ給ふ。水深うやりなし、植木どもなどして、今はとしづまり給ふここち、うつつならず。国の守も親しき殿人なれば、忍びて心寄せ仕うまつる。かかる旅所ともなう、人騒がしけれども、はかばかしう物をも宣ひあはすべき人しなければ、知らぬ国のここちして、いとうもれいたく、「いかで年月を過ぐさまし」と、思しやられる。





近くの、荘園の管理人を召して、色々な仕事など、良清の朝臣が側近の、家令として、指図して、立ち働くのも、心打たれる。
ほんの少しの間に、実に面白く、改造する。
鑓水を深く流して、木々を植えるなどして、いよいよ落ち着くのである。
現実とは、思われない様子。
国の守も、側近の家来で、ひそかに、好意をこめた、お世話をする。
このような、旅住まいに、似合わない人が多く、騒がしいが、役に立つ相談相手が、いないので、見知らぬ国のように、思われ、気が滅入り、どのようにして、月日を過ごそうかと、先々が心配である。

仰せ行うもあはれ
指図して、行うことも、あはれ、という。
つまり、感動するというのである。
心に、極まる思いを、あはれ、という言葉で、表現する。





やうやう事しづまりゆくに、長雨の頃になりて、京の事も思しやられるるに、恋しき人多く、女君の思したりしさま、東宮の御事、若君の何心もなく紛れ給ひしなどをはじめ、ここかしこ思ひやり聞え給ふ。京へ人手だしたて給ふ。二条の院へ奉り給ふと、入道の宮のとは、書きもやり給はず、くらされ給へり。宮には、

源氏
松島の あまの苫屋も いかならむ 須磨の浦人 しほたるるころ

いつと侍らぬなかにも、来し方行く先かきくらし、みぎはまさりてなむ」内侍のかみの御もとに、例の中納言の君の私事のやうにて、中なるに、源氏「つれづれと、過ぎにし方の思ひ給へいでらるるにつけても、

こりずまの 浦のみるめの ゆかしさを 塩焼くあまや いかが思はむ

さまざま書きつくし給ふ言の葉、思ひやるべし。大殿にも、宰相のめのとにも、仕うまつるべき事など書きつかはす。



しだいに、生活が落ち着いてくる頃、梅雨の時期に入り、京のことを、考える。恋しい人が多く、特に、女君の沈んでいた様子、東宮の御事、若君の無心に動き回る姿など、あちらこちらの、方々の事を考える。
京に使いを立てる。
二条院に差し上げるもの、入道の宮には、いっこうに筆が進まず、涙にくれていた。
宮には
源氏
松島のあまの、あなたは、いかがお過ごしでしょう。須磨の浦の私が、涙にくれています、今頃。

悲しさの止むことのない中、この頃は、過去も、未来も、真っ暗で、涙ばかりが、流れます。
尚侍の、元には、例のように、中納言の君にあてのようにし、その中に、する事もないままに、過ぎ去ったときの事が、つい、胸に浮かぶにつけても、

懲りずに、お会いしたいと、思いますが、塩焼く海人のほうは、どう思うか。

あれこれと、書かれた言の葉を、想像してみてください。
大臣家にある、宰相の乳母にも、よくお仕えするようにと、文をやる。


このあたりの、源氏の心境は、大袈裟にも、思えるが、当時としては、京から、離れて、須磨とは、大変なことである。

さまざま書きつくし給ふ言の葉、思ひやるべし
作者が、読む者に、語り掛けている。

想像してみてください、である。

物語は、書く者と、読む者によって、成り立つのである。
更に、それは、共同作業により、完成する。

一人一人の、源氏物語が、出来上がるのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。