2009年09月15日

伝統について 45

思ふにし 余りにしかば すべを無み 出でてそ行きし その門を見に

おもふにし あまりにしかば すべをなみ いでてそゆきし そのもんをみに

恋するあまりに、思い余り、どうしようもなくて、出掛けて行った。妻の家の門をみるために。

すべを無み
術が無くて、つまり、どうしようもなく、それは、つまり、心の様を、もてあましてである。

ただ、恋する人の、部屋の前に出掛けるだけで、何かが、満たされる。
それは、自分の心の満たしである。

情には 千遍しくしくに 思へども 使を遣らむ すべの知らなく

こころには ちへしくしくに おもへども つかひをやらむ すべのしらなく

心では、幾重も、しきりに思う。だが、使いをやる、すべが無い。

術、方法である。
使いをやる、方法が無いのである。

それも、切ないこと。

しくしくに
心の思いが、しくしくに、なるのである。

夢のみに 見るすら幾許 恋ふる吾は 現に見ては まして如何にあらむ

いめにのみ みるすらここだ こふるあは うつつにみては ましていかにあらむ

夢に見るだけでも、こんなに恋しい。実際に、会ったら、まして、どんなに、恋しいことだろう。

恋ふる、とは、恋心を、振る、つまり、とても、とても、恋しいのである。

これは、魂振り、たまふりと、同じようなものである。

恋心も、魂の発露である。

相見ては 面隠さるる ものからに 継ぎて見まくの 欲しき君かも

あいみては おもかくさるる ものからに つぎてみまくの ほしききみかも

逢うと、恥ずかしくて、顔を隠してしまう。でも、逢わなければ、しきりに、見たいと思う、あなた。

なんとも、微笑ましいことだ。

千年以上も前の、人たちの、素直で、純粋な心の、有様を見る。

継ぎて見まくの
絶えず、本当は、見たいのである。

好きな人の、顔は、見詰めていても、飽きる事が無い。
それが、継ぎて見まくの、である。

無名の、先祖たちの歌、歌、歌、である。
だが、そこに、私たちの、心の、原型がある。

これが、いずれ、心象風景となって、複雑な、心情の世界を、生んでゆく。
複雑になって、また、元に戻り、意識の、変革と、変容をする。
心の、歴史の有様である。

繰り返す。しかし、その、繰り返しは、後退ではない。
発展生成しているのである。

心は、成長する。
未だに、もののあはれ、を、超える、心象風景は、生まれていないのである。
恋する心から、生まれでた、もの、あはれ、の心である。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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