2009年09月09日

伝統について 39

待つらむに 到らば妹が 嬉しみと 笑まむ姿を 行きて早見む

まつらむに いたらばいもが うれしみと えまむすがたを ゆきてはやみむ

待っているだろう。着いたら、その嬉しく笑う姿を、早くいって、見たいものだ。

早見む
はやみむ、と、省略する。
早く見たい、のである。
こういう言い方は、方言などで、残っていると、思われる。

誰そこの わが屋戸に来よぶ たらちねの 母にころはえ 物思ふわれを

たれそこの わがやどにきよぶ たらちねの ははにころはえ ものおもうわれを

誰が、この我が家に来て、呼ぶだろう。たらちねの母に、叱られて、物思いする私なのに。

ころはえ
叱り責める意味である。

母に叱られては、男も、来るはずがないのである。

当時は、母親の理解が、大切だった。
恋人を、母親が、気に入らなければ、成就しないのである。
母系社会である。

さ寝ぬ夜は 千夜もありとも わが背子が 思ひ悔ゆべき 心は持たじ

さねぬよは ちよもありとも わがせこが おもひくゆべき こころはもたじ

共に、寝る事が無い夜が、千の夜があろうとも、あなたが後悔するような心は、持たない。

さ、とは、美称である。
寝るを、美称する。

心変わりはしないと、歌うのである。
強い愛情表現である。

家人は 路もしみみに 通へども わが待つ妹が 使来ぬかも

いへひとは みちもしみみに かよへども わがまついもが つかひこぬかも

家に出入りする人は、路に、一杯に行き来しているが、私が待つ、あの人の、使いが、来ないのだ。

しみみに
ぎっしりと、満ちる。

恋する人の、使いが来ない。手紙が来ない。
このように、普通の感覚を、歌にする。それほど、来るのを、待っているのだ。

あらたまの 伎戸が竹垣 網目ゆも 妹し見えなば われ恋ひめやも

あらたまの きへがたけがき あみめゆも いもしみえなば われこひめやも

あら玉の、伎戸が作る、竹垣の網目のような、隙間からでも、妻が見えたらいい。こんなに、恋に苦しんでいるのだから。

伎戸
渡来系の、機織部の人々が、作る、荒い竹垣。

兎も角、何気ない、日常の気持ちを、詠むのである。
心の、発散でもある。

歌の道は、そんな、何気ない気持ちを、表現するものから、生まれた。

万葉が、基底にあり、古今、新古今と、歌が、変転してゆく。
それは、良し悪しを、判断するのではない。
そのように、生成発展していったのである。

万葉は、実に、素朴である。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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