2009年09月08日

伝統について 38

恨じと 思ふさな磐 ありしかば 外のみそ見し 心は思へど

うらめじと おもふさないは ありしかば よそのみそみし こころはおもへど

恨めしいと思う、磐があった。だから、外からだけ見ていた。心に思っていたのに。

この、磐は、恋の障害である。妻の存在があったのかもしれない。

男は、正妻の他にも、女の元に、通っていたのかもしれない、時代である。
浮気者は、いつの時代にも、いる。


さ丹つらふ 色には出でね 少くも 心のうちに わが思はなくに

さにつらふ いろにはいでね すくなくも こころのうちに わがおもはなくに

赤味を帯びたように、面には、出さないが、心の中では、思っていたのだ。

さ、とは、接頭語である。
丹つらう、は、赤味である。
表には、現さなかった。でも、好きだった。

わが背子に 直に逢はばこそ 名は立ため 言の通に 何そ其ゆえ

わがせこに ただにあはばこそ なはたため ことのかよひに なにそそこゆえ

私の恋人に、直接逢えば、浮名は、立つでしょう。でも、言葉を通わせるだけでも、噂が流れた。

思いを、人に隠すことが、恋の成就に、つながったのか。
人に、噂されることを、皆、嫌うようである。

ねもころに 片思すれか この頃の わが心神の 生けりともなき

ねもころに かたもひすれか このごろの わがこころど いけりともなき

心を尽して、片思いをする。この頃の、私は、生きている心地がしない、思いだ。

片恋という。かいこひ、である。
片思いの、心境は、辛い。
それも、生きている心地がしないほどの、恋である。

恋につける、薬は、無いと、昔から、言われた。
しかし、どうすることも出来ない。
その、心の嵐を待つしかない。
そして、その間に、物思うのである。
それは、憂いになる。憂いは、人の心を、病ませるが、そこに、言葉の世界が、出来上がる。思想である。

恋から、出た思想は、人の心を、打つ。
恋から、出ない思想は、単なる、言葉の羅列である。

様々な、思想家の、著作には、恋心がある。
また、それに、近いものがある。

憂いである。
憂いの無い、思想家の、著作は、人を不幸にする。
人を物として、扱う。

更には、機械的になる。
山川草木に寄せる心が、あれば、思想は、生きたものになる。
それは、慈しみである。

憂いは、慈しみを生む。
人を支配するような、著作は、結果、大きな不幸を、作り出す。

万葉集を、一つの、思想の著として、考えた時、日本の先祖たちの、心根に、実に、憐れみ深いものがが、解る。

民族の心象風景、もののあはれ、が、見えてくるのである。

それは、これである、と、取り出せないものである。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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