2009年08月15日

伝統について 15

来る道は 石踏む山の 無くもがも わが待つ君が 馬躓くに

くるみちは いはふむやまの なくもがも わがまつきみは うまつまづくに

あなたが来る道には、岩を踏むような道のある山が無くて欲しい。私の待つ、あなたの馬が、つまずかないように。

そして、帰りの道もである。
無事を祈る心は、恋心でもある。


岩根踏む 隔れる山は あらねども 逢はぬ日まねみ 恋ひわたるかも

いわねふむ へなれるやまは あらねども あはぬひまねみ こひわたるかも

岩根を踏むような、険しい隔てる山は、ないけれど、あなたに逢わない日が、続くので、恋渡るのである。

恋渡る、とは、慕い続ける、恋し続ける。

隔てる山は、ないけれど、逢わないでいることは、隔てる山があるようである。

逢はぬ日まねみ、とは、まねし、という古語から、出る。


路の後 深津島山 しましくも 君が目見ねば 苦しかりけり

みちのしり ふかつしまやま しましくも きみがめみねば くるしかりけり

深津の島山、しばらく、あなたにお会いしていないので、苦しいことです。

海上から、島のように見える山を、島山という。
その、島山が、相手を象徴するのである。
あなたと、呼びかけずに、島山として、相手を慕う。


紐鏡 能登香の山は 誰ゆえか 君来ませるに 紐解かず寝む

ひもかがみ のとかのやまは だれゆえか きみきませるに ひもとかずねむ

結んだ紐が解けない、鏡のような能登の山は、誰のために、君がいらしても、紐を解かずに寝るのでしょうか。

あなたが来たら、紐を解かずにしられましょうか。
実に、意味深な歌である。

私見である。
あなたが来たなら、体の交わりをしないで、いられましょうか。
紐を解くのは、交わりのためである。

能登香の山を、自分と、見立てて、歌うのである。


山科の 木幡の山は 馬はあれど 歩ゆわが来し 汝を思ひかねて

やましなの こはたのやまは まはあれど かちゆわがこし なをおもひかねて

山科の、木幡の山は、馬で越えるのが普通である。しかし、近道を、歩いてやってきた。お前のことを、思い続けて。

汝を思ひかねて
色々に、訳すことができる。

逢わずにいられなくなって、やってきたのである。
近道を歩いて。
本当なら、馬で来る方が、早いし、便利だが、歩くという、行為に、思いの深さを、乗せている。

逢うためならば、千里も、一里なのである。
その、情熱を、持ち続けること。
万葉集は、その情熱の、ままにある。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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