2009年08月15日

国内慰霊

台風が、来て、朝から雨である。
予定していた時間は、朝の六時であるが、様子見をすることにした。

結局、出発したのは、朝、11:30である。
辻友子、テラの会理事の車で、千代田区の、千鳥が淵戦没者墓苑に向かう。

強く振り出した雨の中である。

やはり、日を改めるべきだったかと、思いつつ、後部座席で、外を眺めていた。

台風は、四国、高知沖から、太平洋をなめるように、通過するという。

被害が大きい。
死者、14名であり、行方不明者もいる。

千葉、都内でも、被害が出ている。

当然、雨は降り続くものと、思う。

30分ほどで、目指す、千鳥が淵墓苑に到着する。
この雨であるから、墓苑の駐車場には、車が無い。

私は、辻さんに、少し様子を見てからと、言った。
雨が強く降っている。

その後、上野公園に行き、東京大空襲の被災者の慰霊をする、予定だったが、私は、止めることにした。

御幣と、日の丸が、雨では、持たない。

しばらく様子を見て、小降りになったので、辻さんを促し、傘をさして、御幣のみ、持参して、墓苑に向かった。

雨が上がることは、もう、望めないのである。

正面から、入った。

急いで、屋根のある慰霊の場所に入る。

傘を置いて、御幣を、掲げる。
太陽の出ているであろう所に向かい、神呼びをする。

丁度、祭られている、逆の方向である。

辻さんが、写真を撮る。

そこでは、祝詞を長い時間唱えられないと、思い、私は、車の中で、唱えていた。

最低の時間で、慰霊を終わろうと思ったのだ。

だが、屋根があるお陰で、少し長い時間を、黙祷に当てた。

そして、四方を御幣で、清め祓う。
誰もいないので、たっぷりと、満足のゆく、ものだった。
更に、特別に、祝詞を唱えた。

ここには、遺骨収集などにより、海外から持ち帰られた、戦没者の遺骨のうち、遺族に穂渡すことの出来なかった、35万人、35万柱という、方々の遺骨が、納められてある。

先の大戦では、310万人の、戦没者が、いらっしゃる。
その中の、ほんの一部である。

およそ、30分ほど、慰霊の行為を行い、その後で、入り口の、戦争戦禍の地図の前で、写真を撮った。

ああ、まだ、私の行く場所が、多々あると、それを、見つめた。

そして、墓苑の事務所に向かい、色々なパンフレットを頂き、署名した。

いかに、日本が、広い範囲に渡り、戦争を繰り広げていたかということ、今更、ながら、感心した。

日清、日露戦争で、勝利した、日本は、その範囲を、無限大に広げるようだった。
しかし、大東亜戦争により、敗戦。
その広い範囲は、すべて、独立し、現在に至る。

アジアの国々の、独立を促した、戦争でもあったといえる。

勿論、植民地政策も、行った後である。

そして、駐車場に向かう時、傘を必要としていないことに、気づいた。
雨が、止んだのである。

だが、空には、厚い雲であり、また、雨が降るだろうと、思った。

靖国神社が、すぐ側にある。
私は、靖国に行く予定ではなかったが、辻さんに、靖国に行きますと、言った。

靖国神社に祭られる、英霊は、すでに、祭神として、その存在を認められ、毎日、神官たちによって、篤く、畏敬の念と、祈りによって、成っている存在であるから、私の行く所ではないと、考えていた。

私の行くべき所は、慰霊を必要とする場所である。

それは、その存在を忘れられた、また、知られないでいる、霊位の場所である。

さらに、靖国神社という、社、やしろ、を、通して、霊位の、地位のある、方々である。
説明するは、大変、専門的になるが、霊位の存在確かな場所であれば、私の行く必要は、無いのである。

神社の所作によって、納まる英霊の方に、私の所作は、必要ではない。
よって、私は、参拝といっても、通常の参拝はしなかった。

日の丸を、持参して、ただ、礼をし、黙祷した。

それ以上は、僭越行為である。

まさか、そこで、清め祓いなど、することは、出来ないのである。
それは、実に、おかしなことである。
靖国神社を、清め祓う人は、いないだろう。

私の、所作は、古、いにしえ、の、かむながらのみち、の、所作である。
それは、宗教ではない。
伝統行為である。

さらに言えば、神呼びの拍手も、打たない。

追悼慰霊の場所では、神呼びの拍手と、音霊により、執り行うが、靖国神社では、それは、出来ない。

要するに、レベルも、ラベルも、違う方法だからである。

そちらは、そちらの、こちらは、こちらの、方法である。

神社神道には、厳格な礼法所作がある。
それは、見事に、舞のような、所作である。
そして、一分の乱れも無いものである。

神主も、装束を見に付けて、格式を持って、行う。

私は、別である。

あくまでも、霊位に寄せる。
つまり、霊位に合わせるのである。
だから、その時、その場によっても、方法や、するべきことが、決まっている訳ではない。
簡単に言うと、臨機応変である。

しかし、それは、神主には出来ないことでも、ある。

神主は、式があって、神主なのである。

私は、式が無いのである。

とんでもない行為をすることも、多々ある。
念仏、題目のみならず、キリスト教の祈り、アッラーを呼ぶ場合もある。
便宜上である。

それは、霊位を優先するからである。
しかし、神社は、神社神道の儀式にあるものであり、それも、一つの伝統的行為である。

私の場合は、伝統行為であるが、あちらは、伝統的行為である。

伝統行為と、伝統的行為の違いは、伝統行為を、一定の儀式の中に、収めるものが、伝統的行為と、言えるのである。

さらに、私の伝統行為は、私の感受性によって、執り行われるものである。

霊位の中には、様々な霊位がいらっしゃる。
中には、熱心なクリスチャンがいる場合もあり、その時、どうしても、その場から、引き上げてもらう場合、引き上げていただきたい場合は、霊位の、想念を主にしなければならない。

私の黙祷が、霊位に、反応をして頂くには、キリエ・レイソン、主よ憐れみたまえ、という、祈りが必要な場合がある

端的に言えばである。

タイ、ラオス、ミャンマーの、ゴールデントライアングルでの、慰霊のときに、どうしても、お経を唱える必要を感じた。

長い経典は、唱えられない。ゆえに、般若心経を唱えた。

それは、大乗仏典であるが、小乗仏教の人にも、伝わるものだった。

説明が長くなった。

靖国神社では、太陽が、出た。
日の丸を、太陽にかざして、神呼びをした。

そして、参拝に向かった。
それ以降は、雨が止み、夜も、雨が降らなかった。
夜から、朝にかけて、大雨の予報である。

更に、これ以上の雨が、降れば、都内、千葉のみならず、関東一円に、大きな被害を与えるだろうと、思えた。

靖国神社で、太陽が出た時は、汗ばむほどだった。

大和朝廷以前の、富士王朝からの、伝統は、やはり、太陽崇敬であったと、確信するものだった。
今年、富士王朝開闢から、9059年を迎える。

建国2669年も、その中に入るものである。

まさか、雨が止み、収まるとは、思いもしなかった。
同行の、辻さんは、絶句していた。
これから、もっと、強く降るって・・・

しかし、その夜は晴れ、翌朝も、少し程度の雨だった。




posted by 天山 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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