2009年08月11日

伝統について 11

眉根掻き 鼻ひ紐解け 待つらむか 何時かも見むと 思へるわれを

まよねかき はなひひもとけ まつらむか いつかもみむと おもへへるわれを

眉を掻き、くしゃみをして、更に、紐を解いて待っているだろうか。早く会いたいと思っている、この私を。

何時かも、とは、願望であろうか。
紐を解いてというところ、何とも、微笑ましい。
紐を解くとは、夜を共寝するということである。つまり、交わるということ。
交わりを、
願う恋心。

プラトニックラブというのは、実に、現代的な感覚である。

精神的愛とでもいうのか。
実に、うそ臭いのである。
生身の人間の、男と女が、求め合うというのは、肉体が、伴うからである。
特別な、事情で、交わることが出来なくても、交わることを、願うのが、健康な証拠。
同性愛でさえ、肉体の、交わりを、求める。それが、肉体ある人間の、真っ当な姿である。


君に恋ひ うらぶれ居れば 悔しくも わが下紐を 結ふ手たゆしも

きみにこひ うらぶれおれば くやしくも わがしたひもを ゆふてたゆしも

君を思い、恋して、心がすっかり、切なく、うらぶれている、つまり、しおれたようになっている。私の下紐を結ぶ手が、たゆしも、とは、どういう感情だろうか。
手が寂しい。手が、辛い。
性欲の激しさと、解釈すると、どうだろうか。

悔しくも、とあるのは、残念だということで、セックスが出来ないのが、残念で、紐を結ぶ手が、どうにもしょうがないのだ、ということか。

紐を結ぶのも、空しいことだと、訳すと、格調高くなる。


あらたまの 年ははつれど 敷たへの 袖交へし子を 忘れて思へや

あらたまの としははつれど しきたへの そでかへしこを わすれておもへや

あらたまの年は、終わった。しかし、敷たへの、袖を交わした、あの子のことを、忘れることは、できない。

袖交わし、ということは、共寝したということだ。セックスしたのだ。だから、忘れられない。忘れられようかということ。

しきたへ、とは、立派な衣である。

新しい年を迎えたが、交わった、あの子のことは、忘れられないのである。


白妙の 袖をはつはつ 見しからに かかる恋をも われはするかも

しろたえの そでをはつはつ みしからに かかるこひをも われはするかも

白妙の袖を、僅かに見ただけである。それなのに、恋してしまった。その恋は、言うまでも無く、苦しいものである。

かかる恋をも、とは、恋というものは、苦しいものだとの、観念である。
そのような、恋をしてしまったのである。

一目惚れである。
袖をはつはつ、とは、少しばかりという意味で、はつはつと、擬音になっている。
はつか、という、読み方であるが、源氏物語にも、このような、擬音が多く使われる。

袖をはつはつ、と、読んで楽しみたい。

そのままの、心情を、そのまま、歌にしたのである。
素朴、純情である。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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