2009年08月10日

伝統について 10

玉久世の 清き川原に 身禊して 斎ふ命は 妹がためこそ

たまくせの きよきかわらに みそぎして いはふいのちは いもがためこそ

たまくせの清い流れの、川原で、禊をして、忌み慎む、この命も、ただ、妻のためなのだ。

川の水に体を浸して、身を清めるという、禊の行為。それは、命を洗い、命を、強める。それを、するのも、愛する妻のためである。

体が、清まれば、綺麗になれば、心、魂も、清まると、素直に考えた万葉人である。

体と、心が、同通していたのである。分離していない。実に、健康である。


思ひ寄り 見ては寄りにし ものあれば 一日の間も 忘れて思へや

おもひより みてはよりにし ものあれば ひとひのほども わすれておもへや

心に思い、逢っては、心が深く通うもの。一日の間も、あなたのことを、忘れることがない。思い続けている。

恋する者、いつの時代も、そうである。
一日の間でも、いつも、思い続けている。
雨降れば、雨に思い、風吹けば、風に思う。

恋は、感受性を開花させる。


垣ほなす 人は言へども 高麗錦 紐解け開けし 君にあらなくに

かきほなす ひとはいへども こまにしき ひもとけあけし きみにあらなくに

垣根のように、人は、噂をするが、高麗錦の紐を解いて、寝た君でもないのに。

高麗錦は、高麗様式の、織物で、恋の出で立ちに似合うのである。

意味深なのは、高麗錦の、紐を解いて寝るということである。
紐を解いて寝る。つまり、交わる。

君とは、紐を解いた仲なのであると、言えば、そういう関係である。


百尺の 船隠り入る 八占さし 母は問ふとも その名は告らじ

ももさかの ふねかくりいる やうらさし はははとふとも そのなはのらじ

百尺の大きな船が、入るような港で、占いを立てて、母が聞いても、決して、その人の名は、言うまい。

何故だろうか。
母に、恋人の名を告げないというのである。
母は、必至に、娘の恋人の名を、知りたがる。
当時は、母の許しが必要だった。
母系であるから、母は、わが子の相手が、誰なのかに、深く興味を持つ。

もし、名前を告げて、母が、反対したら、大変である。

要するに、結婚をして、子供が出来ると、女の実家で、育てることになるのである。
それは、母親にとっては、重大なことである。

娘の相手が、気に入る男ならば、良いが、気に入らなければ、母は、強行手段も、取るのである。

父親より、母親の方が、強いのである。

古代は、男尊女卑といわれるが、実質的に、果たして、そうなのか。
男が、武力を持つに至って、女を、道具にしたという、戦国時代以後から、女は、男の野心に、翻弄されたといえる。

古代は、身分でさえ、母の血筋が、主体となった。
母系の方が、確実である。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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