2009年08月09日

伝統について 9

朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にし子ゆえに

あさかげに わがみはなりぬ たまかぎる ほのかにみえて いにしこゆえに

朝影のように、細ってしましたのである。それは、玉の輝くような、あの子を見て、去ってしまったからである。

一目惚れか。
玉のように輝く、美しい、あの子を見た瞬間、恋に落ちた。だが、目の前を、ただ、去っていってしまったのである。

ほのかに見えて
微かに、目にしただけである。微かに、目に触れたと、訳すこともある。

あの子を、微かに見て、ということに。

それで、思い続けて、わが身は、細るのである。

恋煩いとでも、いうのか。


行き行きて 逢はぬ妹ゆえ ひさかたの 天露霜に 濡れにけるかも

ゆきゆきて あはぬいもゆえ ひさかたの あめつゆしもに ぬれにけるかも

行っても、行っても、逢えない女のために、久方の天の露霜に、濡れてしまった。

ひさかたの天の如くに、遠い存在の女である。
行き行きて、との、切ない情感。
ただ、露、霜に、濡れただけである。それも、これも、恋のため。

呆然と、佇む、恋する者。実に、愛しい存在である。
恋する心が、愛しいのである。

愛しいとは、また、かなしい、とも、読む。

たまさかに わが見し人を 如何ならむ 縁をもちてか また一目見む

たまさかに わがみしひとを いかならむ よしをもちてか またひとめみむ

たまさか、偶然に見た人を、どうした縁を持って、また、逢うことが、できるのか。

一目惚れである。

たまたま、見かけた人と、再び逢う縁を、どうして、見つけようか。見つけられないだろう。
絶望的である。

今も、昔も、同じである。
一瞬のうちに、恋に落ちる人の心の、有様を、何と言うのか。
どうして、その人に、心を奪われるのかを、人は、知らない。
何故、恋という、感情を、その場で抱くのか。

動物なら、発情期というものがあり、その期間だけ、オスとメスが、交尾するのである。しかし、人間は、いつも、恋に捉えられることがある。


暫くも 見ねば恋しみ 吾妹子は 日に日に来れば 言の繁けく

しましくも みねばこほしみ わがもこは ひにひにくれば ことのしげけく

ほんの少しの間も、逢わなければ、恋しい。だが、吾が妹子が、毎日来ると、その噂が、煩いのである。

人の恋は、人の格好の噂になる。これも、今も昔も、変わらない。

噂を立てられると、困る。恥ずかしい。それに、知らぬところで、人の口に上ることに、戸惑うのである。

見るば恋しみ
逢わなければ、恋しいし、それが、噂の元になる。
嬉しい、悩みである。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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