2009年08月09日

伝統について 9

年きはる 代までと定め たのめたる 君によりてし 言の繁けく


としきはる よまでとさだめ たのめたる きみによりてし ことのしげけく

我が代が、極まるまでと、定めて、頼りにさせたあなた。でも、それによって、人の噂が、煩いことに。

男が、頼りだと、思う心を、あなたが、そうしたのだ。それで、人の噂が煩い。でも、いい。だから、そのつもりで、来てくださいという。

結婚するまでは、と、女が歌うのである。
男が、そう言った。だから、それまでは、人の噂も、煩いが、いいのである。


赤らひく 膚には触れず 寝ぬるとも 心を異しく わが思はなくに

あからひく はだにはふれず いぬるとも こころをけしく わがおもはなくに

ほんのりと、赤い肌には、触れずに、寝ているとも、私は、異心を、持ってはいない。

つまり、大切に思うから、共寝は、しない。セックスは、しないのである。
異心とは、別の人に対する思いは、無いのだという。

いで如何に ここだはなはだ 利心の 失せなむまでに 思ふ恋ゆ

いでいかに ここだはなはだ とごころの うせなむまでに おもうふこひゆ

ああ、どうなるのか。これほどに、酷く、確かな心が失せてしまうほどに、心を尽くした、恋の結果は。

利心、とごころ、とは、鋭い心である。それが、恋によって、失いそうになったのである。我を忘れるほどの恋である。

そして、その結果は、どうなるのか。
思ふ恋ゆ、とは、物思う心である。

恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 吾妹子が 吾家の門を 過ぎて行くらむ

こひしなば こひもしぬとか わがもこが わぎへのかどを すぎてゆくらむ


恋をして、死ぬというなら、恋をして、苦しんで死ぬがいいと、吾妹子が、我が家の門を、通り過ぎてゆく。

相手の冷たさを、嘆くのである。
過ぎて行くらむ、に、切々とした、思いが、感じられる。

片恋なのだろうか。
女が、冷たすぎるのか。


妹があたり 遠く見ゆれば 怪しくも われは恋ふるか 逢ふ縁を無み

いもがあたり とおくみゆれば あやしくも われはこふるか あふよしをなむ

妻の住む辺りが、遠くに見える。それゆえ、怪しいほどに、恋心が、燃えてくる。しかし、逢う術がないのだ。

怪しいほどの、恋心である。
心が、乱れ乱れる、恋の形相を、怪し、という。

恋する心の中を、覗いてみれば、一体、どのような風景が、見えるのだろうか。

どれほどの、形容を使っても、それを、表すことができない。ゆえに、物語が、生まれる。

万葉の心を、継いだ、源氏物語が、登場するまでには、まだ、時が必要だった。

更に、歌道としての、教養が、深く広く、高まったといえる。
歌道こそ、床しいものである。
その、原点が、万葉集である。
民族の、心の原点を、有する、幸せである。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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