2009年08月07日

伝統について 7

恋するは 死するものに あらませば わが身は千遍 死にかへらまし

こひするは しにするものに あらませば わがみはちたび しにかへらまし

恋に苦しむと、死ぬものなのであれば、私の体は、千回も、繰り返し死んでいるだろう。それほど、命がけの恋をしているのだ。

激しい恋の告白である。
直情型である。
そして、これが、万葉の恋である。

恋愛遊戯なのではない。
恋は、生きる、死ぬことなのである。

恋に命を、掛けられる人は、いつも、若いのである。

そして、若さの特権である、恋である。


玉あへば 昨日の夕 見しものを 今日は朝に 恋ふべきものか

たまあへば きのうのゆうべ みしものを きょうはあしたに こふべきものか

玉逢い、魂を合わせた、昨日の夜の逢瀬である。そして、今日の朝は、もう、恋に苦しむわが身なのである。

たまあへば
魂合いをして。二人が会うことを、魂合いとは、恋というもの、そのものを、言う。
恋は、魂が、魂を、求めるのである。
別れた後から、すでに、恋の苦しみに、身を焦がす。

これは、今の、演歌にまで、受け継がれている。

逢えば、別れがこんなに辛い
逢わなきゃ、夜が、やるせない

大胆、豪快な、心情を歌う。

なかなかに 見ざりしよりは 相見ては 恋しき心 まして思ほゆ

なかなかに みざりしよりは あいみては こほしきこころ ましておもほゆ

なかなかに、かえって、逢わなかった時よりも、逢った後の方が、恋しい心が、募る。

見ることは、逢うこと。
一目だけでも、会いたいとは、見たいと、同じ意味。

逢わない時よりも、逢った後の方が、辛いと歌う。
しかし、逢いたい。逢えば、辛い。恋とは、このように、辛いものなのである。

万葉時代と、今の時代との、人の差に、何の差があるのか。大差はないのである。

玉ほこの 道行かずあらば ねもころに かかる恋には 逢はざらましを

たまほこの みちゆかずあらば ねもころに かかるこひには あはざらましを

玉矛の道を行かなければ、心を尽くすほどの、恋には、逢わなかったものを。

この道で、出会ったのである。命がけの恋の相手に。
どこで、出会うのか、解らない。それは、一瞬の出会いだった。
そして、魂合うことで、恋に生きるのである。

この道を、行かざりければ 無きものを 
恋という名の 神に逢いては
天山

ただ今、万葉集の、恋の歌を、読んでいる。
そして、今の今でも、人は、恋の歌を、詠む。
歌は、詩でもあり、話にもなる。
恋を扱わなかった時代が、あろうか。
万葉集には、この民族の精神の、黎明がある。
そして、これが、伝統となる。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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