その、根本経典は、ヨーガ・スートラである。
それは、西暦400から450年頃に、編纂された。
ヨーガの起源は古く、インド文明成立とともに、存在していたと、考える。そして、理論体系化されたのが、そのあたりである。
この学派は、仏教の影響も、ある。
しかし、形而上学説は、サーンキヤ学派と、ほぼ同じである。
ただ、最高神を認める点が違う。
最高神は、一個の霊魂である。
それは、永遠の昔から存在する、個我である。多数の霊魂の中で、ただ一つ威力に満ちる。そして、完全性を備えている。一切のものを、支配するが、世界創造は、行わない。
インダス文明初期から、森林樹木の下で、静座瞑想に耽る行為があった。
それは、境地の安楽を楽しむものだった。それが、次第に、宗教的な意味合いが加わり、意思を、制御する方法として、尊重された。
日常の、相対的な、動揺を超えた彼方の境地に、絶対静の神秘境地が、啓ける。その境地において、絶対者と、合一が実現する。
この、修行を、ヨーガと呼び、修行者を、ヨーガ行者と呼び、その完成者を、牟尼と、呼ぶ。
釈迦牟尼とは、釈迦仏陀のことであるが、彼が、静座して、悟った者という意味である。
更に、各学派は、ヨーガの修行を、実践法として、取り入れている。
ヨーガの語義は、心の作用の止滅である。
外部の束縛を離れ、内部の心の動揺を、静める。
五感を制して、誘惑を退け、進んで、心の集中に陥ることである。
そこでは、不殺生、真実、不盗、不淫、無所有という、五戒を定める、制戒があり、内外の清浄と満足、学修と最高神に専念する、内制、座法によって、身体を安定不動にし、呼吸によって、調息する。感覚機能を対象から離して、心をくつろがせる、制感、心を一箇所に、結合させる、総持、そして、静慮によって、念ずる対象に、観念が一致すること、最後に、三昧によって、対象のみが、輝いて心自体は、空になる。
以上を、ヨーガの、八実践法という。
ただし、三昧にも、有想三昧と、無想三昧がある。
有想は、対象の意識を、伴う三昧であり、対象に縛られ、心の作用の、潜在力を持つ。
無想三昧は、対象の意識を伴わない。対象に縛られることなく、そこには、心の作用も無く、無種子三昧とも言われる。
そして、この無想三昧が、真のヨーガであるとする。
プルシャは、観想者として、その自体のうちに安住し、ただ、精神が物質から、完全に、分離するのである。
さて、もう一つの、学派を紹介する。
それは、仏教にも大きな影響を与えたものである。
ニヤーヤ学派である。
ニヤーヤとは、理論、正理という意味である。
後に、論理学的研究一般の、呼称さなり、その本質は、理論をもって、真理を探究することと、考えられた。
仏教では、論理学のことを、因明と、呼ぶ。
方便心論というものが、著された。
ニヤーヤ・スートラは、西暦250年から、350年頃に、編纂された。
ニヤーヤ学派の、形而上学に関する部分は、ヴァイシェーシカ学派と、類似する。
認識の対象は、アートマン、つまり、霊魂と、身体、感官、感官の対象、思考作用、内官、活動、過失、死後の生存、行いの報い、苦しみ、解脱であると、定める。
ヴァイシェーシカ学派と、同じく、無数に多くの原子が、永遠の昔から存在し、不変不滅である。
それを、作り出した第一原因は、存在しない。
それらが、合して、自然世界を成立させている。
元素としては、地、水、火、風、そして、虚空を含めて、五つとする。
アートマンは、身体、感覚作用とは、異なったものであり、別に存在するものである。
アートマンの存在を、積極的に、論証している。
だが、世界主宰神については、若干の異説がある。
この、学派は、仏陀の、教えに近いものがある。
人生は、苦に悩まされる。
それは、人間が生存しているからである。
その人間の生存は、人間が、活動を起こすことから、起こる。それらの、欠点は、誤れる知である。
故に、人間に起こる苦しみの根源を突き詰めてゆくと、結局、誤れる知が、苦しみの起こる、究極の根源である。
この、根本的な誤った認識を、除去し、万有の真実相を認識して、苦しみから、離脱する。これが、解脱である。
解脱に達した人は、輪廻の輪を脱して、何物にも束縛されない。
かかる境地に到達するために、戒律を、守り、ヨーガの実践をする。
この学派が、もっとも力を入れたのは、認識方法と、論争の仕方である。
正しい知識を得るための、認識方法は、四つある。
直接知覚、推論、類比、信用されるべき人の言葉であり、それは、ヴェーダ聖典なども、含まれる。
論証がなされるにあたり、最初に、疑惑がある。
疑惑を解決しようとする、動機が働く。
動機とは、ある目的を目指して、人が働くところの、目的である。
そのためには、世人でも、専門家でも、万人が承認する、実例に基づいて、考察するものである。
そうして、出される見解は、定説として、示される。
それには、一切の学説の承認する定説と、特殊な学説の承認する定説と、他の事項を含む定説と、仮定的な定説がある。
論争に当たっては、五分作法と称する、論式の型で示される。
主張、理由、実例、適用、結論である。
最後に、叙事詩の完成を言う。
バラモンの社会的優位性が認められると、叙事詩も、おのずと、その線に則って、改変された。
西暦400年頃の、マハーバーラタが、ほぼ現形の如くに、まとめられた。
このような、環境にあって、仏教も、影響を受け、また、それらに、影響も与えた。
つまり、仏教を、理解することは、当時の、また、インド社会の、更に、そこから生まれた、様々な思想体系を理解して、はじめて、仏教、更に、大乗仏教というものを、理解できる。
単に、単独に、仏教を理解すると、誤る。
多くの仏教経典を、漢訳した、三蔵法師玄奘は、その、インドの、思想界の中で、様々な、学派を、論破し、ナーランダ一の存在になり、天竺から、当時の、中国、唐に帰国した。
それでは、もう一度、仏教の、変転に戻る。