2009年08月06日

神仏は妄想である 225

正統バラモン系統哲学体系を、六つの教え、六派哲学と呼ぶことがあり、それは、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ヴァイェーシカ学派、ニヤーヤ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派と、それぞれ、連動している。

その他には、ことばの形而上学が文法学者によって、唱えられた。

これらの、諸派は、何らかの意味で、ヴェーダー聖典の権威を認め、またバラモンの階級的優越性を認めるゆえに、正統と、考えられている。

ただ、ヴェーダー聖典の教えと、矛盾したことを、説く者もいる。

これに対し、仏教、ジャイナ教、唯物論は、ヴェーダー聖典の権威を認めず、バラモンの社会的優位性も、認めない。
勿論、バラモンからは、そちらの方が、異端として、みなされた。

この、正統バラモン系統の、成立年代は、同一時期ではないが、グプタ王朝前後には、興隆したと、考えられる。

それぞれの、哲学的考察を、見ると、少なからず、仏教の教えにも、影響を、与えているのである。

更に、より、仏教に取り入れられた、学派もあると、いえる。

仏教を、理解するには、バラモンの哲学を、学ぶことも必要である。
何故なら、それらは、互いに影響し合いながら、その教えの、完成度を、高めたからである。

更に言えば、仏教の教えも、それらによって、大きく影響されて、複雑奇怪になっていったとも、言えるのである。

大乗の教えの中に、それらが、交じり込んでいると、考えても、間違いではない。

大乗の成立過程を、理解する上でも、それらの、教養が必要である。

そこで、簡単に、各派の、教えを、俯瞰することにする。

サーンキヤ学派は、ウパニシャドの哲人ウッダーラカの思想を、批評的に改革して、唯一なる、有の代わりに、二つの実体的原理を想定した。

ひとつは、精神原理としての、純粋精神、プルシャとか、アートマンと、呼ばれる。
もうひとつは、他の物質的原理は、根本原理であるが、現象世界の原理であり、未開展者といわれる。

純粋精神は、実体としての、個我であり、原子大で多数存在し、本質は、知、または、思、であるとする。

それは、活動することなく、根本原質を観照するだけである。非活動者といわれる。
それ自体は、常住不変で、純粋清浄であり、生も死も、輪廻も、解脱も、すべて、純粋精神そのもので、本質的関係は無い。

これに対し、根本原理は、本来、物質的で活動性を、有し、純質、激質、いん質という、三つの構成要素を持つ。

この、三つの、要素が、相互に安定しているときは、静止的状態にあるが、純粋精神の観照によって、激質の活動が起こると、開展が、開始される。

その際に、根本原質から、最初に生ずるものを、根源的思惟機能、または、大なるものと、呼ぶ。

それは、確認の作用を本質とする。
精神的な作用の元となるのである。純物質的なもので、身体の一機官である。

次に、根源的思惟機能が、激質によって、開展を起こして、自我意識を生ずる。

これも、純物質的な、一機官であり、三つの、構成要素よりなるが、自己への執着を特質とする。

これが、われが為す、このものは我に属する、これが、我であると、自己本位の見解を持つのである。
この、自我意識は、元来物質的な、根源的思惟機能を、自我と、誤認して、根源的思惟機能と、純粋精神とを、同一視する。
この、自己中心的な自我意識の、誤認が、輪廻を成立させるというのである。
その、自我意識から、更に、十一の機官と、五元素が、生じる。

この、開展から、人間の、感覚、知覚、思考、意欲などの作用は、物質に属するという。
純粋精神は、それらを、照らして、意識させるだけである。
精神には、道徳的、責任は無い。
微細なる、身体が、道徳的、責任を負う。

純粋精神は、本来、純粋清浄なものだが、物質によって、制されているため、この生存が、苦しみとなる。
それは、純粋精神が、根本原質を観照して、物質と、結合している間は、輪廻が、存在するから。

この、輪廻から、離脱するためには、特別の修行をもって、純粋精神を、汚れから、清め、純粋清浄な本性が、現れるようにしなければならない。

解脱の、直接の原因は、智である。

その、智のために、外的な智、ヴェーダ聖典の知識と、内的智、すなわち、純粋精神の、智とを、区別しているが、解脱をもたらすものは、内的智を、得ることである。

解脱の智を得るために、補助的に、ヨーガの修行を勧めている。

だが、その解脱も、根本質料因に起こり、純粋精神には、何の変化もないという。

解脱しても、生存しているのを、生前解脱。
死後、二元が完全に分離して、離身解脱と呼ぶ。

これにより、純粋精神は、独存となり、本来固有の、純粋精神性を発揮する。

実存するものは、二元のみで、創造神とか、主宰神というものを、想定しない。

以上、簡単に、俯瞰した。

この一つを、取り上げても、仏教思想に、大きな影響を、与えていることが、解る。

仏教が、どこまで、仏教のオリジナルかと、言われれば、解らない。
多く、バラモンの教義に、依るものと、思われる。
特に、大乗は、そうである。




posted by 天山 at 00:00| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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