2009年08月02日

伝統について 4

何せむに 命は継がむ 吾妹子に 恋ひざる前に 死なましものを

なにせむに いのちはつがむ わがもこに こひざるさきに しなましものを

どうして、命を永らえようか。吾が妹子に恋して苦しむ前に、死んでしまおうものを。

命など惜しくない。恋をして、死ぬならば、それが本望である。
その、恋とは、実に苦しいものである。
その苦しみを知るからこそ、死んでもいいと、思うのである。

だが、この歌は、だからこそ、生きるという、反実仮想である。


よしえやし 来まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 恋ひつつ居らむ

よしえやし きまさぬきみを なにせむに いとはずわれは こひつつをらむ

ああ、もういい、来ないあなたを、どうして私は、嫌わずに、待って、恋し続けているのだろうか。

何せむに、という、何ゆえに、である。
我が恋の、その理由などない。

待っても、待っても、来ないあなたを、私は、いやにならずに、恋し続けているのだ。どうしてなのか。自分でも分からない。


見わたせば 近きわたりを 廻り 今か来ますと 恋ひつつそ居る

みわたせば ちかきわたりを たもとほり いまかきますと こひつつそをる

見渡すと、近い渡し場だが、きっと、回り道をして、今こそ来るのだと、私は、恋し続けて待っている。

恋する人は、人目を避けて、きっと、遠回りしてくる。それを、私は、今か今かと、待っている。
その間の、恋心を、私は、抱きしめている。

恋する者は、どんな回り道にも、耐えられる。待つことに耐えること、それが、恋なのだ。


愛しきやし 誰が障ふるかも 玉ほこの 道見忘れて 君が来まさぬ

はしきやし たがさふるかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ

可愛い誰かが、邪魔をしているのか。
たまほこの道を、見忘れているのだろうか。

玉ほこを立てて、道としている。
その道に、恋する人が現れない。
きっと、誰かに邪魔されているのだろう。きっと、そうなのだ。


万葉の歌は、単純明快であるが、恋の歌は、それなりに、複雑な心情を歌い上げる。
行きつ戻りする、心の有様を、実に明快に歌うが、それ自体に、複雑な形相がある。

恋は、芸術を生む。
人は、恋により、詩人になるという、通俗的な言い方が出来る。
だが、恋は、通俗的なものである。
しかし、人は、それによって、生きられる。

何も、高尚なものでなくてもいい。
心躍る、恋というもの、それさえあれば、生きられる。

万葉時代も、今も、それに変わりは無い。

君が来まさぬ、と、二千年を経ても、人は待つ、人に恋をする。だから、人を信じられる。

真実は、単純明快である。





posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。