2009年07月28日

神仏は妄想である 257

タントラの行者たちは、個々の人間と宇宙とが出会う「場」となる接点の上に、宇宙の交叉点を定めた一つの体系的な行法を発達させてきた。
ムケルジー

それが、ヤントラという、図形であり、マンダラという、神々の姿や形を描くもの、そして、耳に聞こえるものとしての、マントラ、真言として知られる、サンスクリット語の基本音節を、唱えるものである。

タントラによれば、生物であれ無生物であれ、すべてのものはある特定の周波数をもった震動音だということができる。
ムケルジー

音と形は、互いに関連して、すべての形は、ある強さを持った、震動音であり、すべての音には、それぞれ目に見える形が対応していると、考える。

音は、形の反映であるという。形は、音から、生まれたということである。

音によって、あらわれる動的な力を図形化したのが、ヤントラである。
ヤントラとは、助けとか、道具という意味がある。

それは、瞑想を助けるために。そして、具体的に神をかたどり、図像として、紙に書かれたり、金属に彫り付けられたりしている。

点、線、三角形、四角形などから、ヤントラ図形がある。
抽象図形が、組み合わさり、静と動の両面が、バランスを持って描かれる。
特徴は、中心部に、すべての図形が描かれていることである。

ヴァルナ・マーラーという、瞑想の際に用いられる文字の輪を見ると、サンスクリット語アルファベットは、宇宙固有のカテゴリーと共に、宇宙の原理の完全な合成を、表す。
文字の輪は、精神集中の焦点として、用いられ、儀式の間、その神秘的な音節は、知覚を強めるために、唱えられるという。

神聖な音を、古代インド人は、聖なる知識の、源としてきた。
神を理解するための、図形は、大小様々あるが、最小の図形では、究極の真実が、エネルギーの震動として、捉えられる。

きちんと、区切られた、一文字一文字が、神と見なされる。
それを、見て、その並んだ形を判読し、精神集中によって、真実を直感するのである。

更に、
ヤントラの図形のなかで、人間は霊魂力の焦点を示す中心と、自分自身の意識の核となる部分とのあいだに緊密な関係を見ようとするが、「マンダラ」のなかにも、全く同じようなことが実は表現されているのである。
ムケルジー

円を意味する、マンダラは、全体や、総合を模った、宇宙の原図としてある。

そして、霊魂のエネルギーの強力な核の部分を、表す。
マンダラは、終わりに始まりがあり、始まりに、終わりがあるという、エネルギーが、永久に釣り合うことを、示す。

視覚的な、比喩として、四角、三角、迷宮模様などといった、図柄が、描かれる。
それは、タントラ崇拝に、幅広く用いられ、その儀礼の基本的な部分を、なしている。

密教の曼荼羅も、然り。

修行者は、その視覚的な形の中に潜む曼荼羅の、原初的真髄を、心に描く手ほどきを、受ける。ついで、瞑想を通して、曼荼羅を、霊魂の力として、自己の内部に、取り込む。そして、全体を象徴する、円は、退化と進化の原型としての、働きを示すものとなる。

タントラの、ヤントラ図形として、最も有名な、シュリー・ヤントラを見ると、男性原理の上向きの四つの三角形と、女性原理の五つの三角形を組み合わせて、四十三の、小さな三角形から成る。三角形の、外側は、蓮華輪と四角で、囲まれている。

この、ヤントラは、存在世界全体の、ビジョンを観想するためのもの。
図形の、各部は、それぞれ、宇宙原理に関連して、神々のマントラも、ヤントラの各部に記されている。

それらは、瞑想中に、活性化して、修行者は、宇宙と同化する究極の悟りを求めて、シンボルを心に描くという。

ここで、文字に、神を見るというのは、日本の言霊に似ているが、全く違うということを、言う。
そして、また、音そのものにある、真実云々も、言霊、更に、音霊、おとたま、という、日本の伝統の考え方に似るが、違う。

ヤントラ行法は、催眠である。
要するに、勘違いを、起こすということ。

その、図形を見つめていると、中心に吸い込まれるように感じ、更に、精神を集中させるが、それは、催眠である。
自己催眠による、妄想を促すものである。

マンダラを、霊魂の力として、自己の内部に取り込むというが、それは、催眠術の暗示と、同じである。

それに、真言、マントラが、加わると、完全に、特殊感覚を、得て、微妙な心境を生ずる。その生ずるものを、宇宙の震動と感応させて、一体化するという、とてつもない、妄想が、生まれる。

人間の、肉体が、宇宙の写しであるという、根本的な考え方は、理解するが、それによって、解脱や、悟りという、観念を得るというものは、自己陶酔の、何物でもない。

実は、三角形というのは、女性性器の、ヨーニを表すものである。
円も、三角形と、見なされるという。
そして、この、女性性器の、ヨーニは、ヤントラの本質的要素である。

更に、そこから、ヒンドゥー教の、三位一体の三神の一つ、宇宙破壊のシンボルである、シヴァ神に捧げられた、碁盤の目の模様のヤントラを見ると、シヴァ神の、四つの相が、ヨーニ、つまり、女性性器が、台座上の、シヴァ・リンガ、つまり、ペニスとして、碁盤目状の二十一の格子模様に中に、表される。

これは、交合の象徴である。

瞑想、精神集中、そして、神々を祀る、儀式で、吉兆の礼拝対象となるのである。

実は、釈迦仏陀は、それらを、嫌い、排除したのである。
それは、仏陀にとっては、邪道、外道であった。
そんなものによらない、心の姿を、見つめて、静かに、現実を見つめる行為を、伝えたのである。

更に、タントラを、深めてみることにする。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。