2009年07月21日

悲しみを飲み込んだハノイへ 6

三日目である。
私は、一日、ハノイの街を楽しみ、ゆっくりとすることにした。といっても、ホテルで、休んでいる時間が長い。

コータが、バッチャン村という、陶芸の村に、支援物資を持って、出掛けたいというで、許した。

その、バッチャン村は、陶芸で有名であり、彼が、通った高校が、有田焼で有名な土地。そこで、興味もあり、出掛けたのである。

朝食をとって、すぐに出掛けた。

私は、のんびりと、過ごした。
まず、水を買うために、やや、遠いコンビニに出掛けた。
近くでも、水は、売っているが、高いのである。

3000ドンの水が、ところにより、8000ドンまでの、幅がある。

ゆっくりと、ハノイの中心街を歩く。
人で、賑わう街である。
道端の、屋台では、多くの人が、食べている。
その一つ一つを、興味深く見て回る。

東南アジアでは、多くの人、屋台で、飯を食うのである。
それは、実に、安い値段である。
毎日のことであるから、安い値段だから、食べられるのである。

だが、旅行者は、注意しなければならない。
それは、水である。
すべて、現地の水で洗う。それが、危ない。

付け合せの、野菜は、現地の水で洗うので、結果、下痢になったり、酷い場合は、食中りであり、もっと、酷くなると、食中毒である。

コーヒーなどは、一度沸騰させたものなので、安全である。

要するに、生のままの野菜を、現地の水で洗うという行為が、一番危険なのである。

果物も、現地の水で、洗われると、危ない。
だから、出来るだけ、買う場合は、その場で、切ったものを、買う。

魚介類も、美味しいが、屋台により、危険度が増す。
一度、煮たものを、焼いたりするのはいいが、ただ、焼いたものは、危ない。

熱いスープの麺類も、食中りすることがある。
それも、生野菜である。
麺の中に、生野菜を入れる習慣がある。半生の野菜は、怖い。

コンビニが、なかなか見つからない。
確か、この辺だったと思い、行きつ戻りつした。
結果、コンビニの玄関の看板工事が行われて、見逃していた。

買い物は、駄目かと、思いきや、おばさんが入ったので、私も、一緒に、急いで入った。

持てる限り、水を買った。
そして、元の来た道を、ゆっくりと、戻った。

道は、複雑である。
それでも、私は、中小路に入り、方向だけは、間違いないと、歩いた。
すると、大聖堂の横に出た。

カトリック教会である。
フランス統治時代からのものである。
いかにも、古めかしい。
せっかくだからと、中に入ろうとしたが、どこの扉も、閉まっていた。

フランス統治時代も、矢張り、カトリック布教が前提だった。
今では、カトリック信者も、多い。

私は、教会前の、一軒のコーヒー店に腰を下ろした。
ベトナムコーヒーを注文する。

戦争を忘れるのはむずかしい。いつ俺の心は安らぐのか。戦争の記憶という檻から、いつ俺の心は開放されるのか。人間の苦しみと楽しみ、醜さと美しさ、そして何よりも哀しさ・・・
戦争が俺の心に刻印した記憶の総体は、十年かかっても二十年たっても消えはしないだろう、おそらくは永遠に。これからも俺は夢とうつつの境界のどこかに棲むのだ。その境界に横たわるナイフの刃先に棲むのだ。
戦争で失われた年月は、誰の責任に帰することもできない。もちろん俺の責任にもだ。俺が確実に知っているのは、俺が生きているということと、これから自分ひとりで生きるしかないということだけだ。新しい生活。ヴェトナムの新しい時代。俺は生きる。生きのびてみせる。
戦争の悲しみ バオ・ニン

ハノイの街は、戦争でないということだけで、平和だった。
なんでもないことが、実に貴く思われる。
鶏の肉を売るおばさんが、コーヒー店の前に来て、声を掛けると、女主人が、バケツを持って出た。

そして、肉を選んでいる。
選ばれた肉は、塩でもまれて、洗われた。
何度か、それが繰り返される。
そして、立ち話である。

教会の鐘が鳴る。
正午である。

古めかしい、鐘の音。
実に、平和である。

アメリカ軍は、1965年、北ベトナム南半部への、継続爆撃を開始した。
そして、次第に、爆撃攻撃を、ハノイ首都圏を含む、北方へ広げた。
72年末、戦略爆撃機B52の大編成によるハノイ都心の猛撃を行って、多くの市民を死傷させた。
北ベトナム軍は、若いOLまでもが、ライフル、対機銃で、米軍機を狙うという、全民武装攻敵体制と、ソ連対空ミサイルSAMで、首都を守り抜いた。

日本の戦時中も、女子の訓練があったが、それを、ベトナムでは、実践したということである。
皆で、守り抜いたというから、凄まじいことである。

その生き残りの人々が、今も、ハノイにいるのである。

大聖堂の鐘の音を、聞きつつ、私は、ベトナム戦争に思いを馳せた。
今、人々は、平和を享受しているが、その享受の裏には、強い意志があると思うと、なんとも、襟を正される。

ところで、ハノイの街の、至るところに、ある建物がある。
それは、ほとんど、目立たない。
英霊を奉る、廟である。

最初の日の朝、コーターと、歩いて、中小路に入って、突き当たった所に、それが、あった。最初、何なのか、分からない。
よく見ると、人の名前が、壁に刻まれていた。
そして、写真が置かれている、所もあった。

それから、注意して、見ると、それが、至る所にある。
ホテルから、1分ほどの、物売りの店が並ぶ場所にもあった。

即座に中に入ると、おじさんが、出て来て、解説してくれた。
この付近の、インドシナ戦争で亡くなった人たちであるとのこと。

それぞれの、町内で、それぞれが、英霊を奉る廟を、持っていると、判断した。

大聖堂から、水を持ってホテルに、戻る道に、それが、また、あった。
その中に入ってみた。

漢字で、英霊と、書かれてあるので、中国系の寺院なのであろうか。
御簾が掛けられてあり、その奥を覗いたが、扉が閉まっていた。

その前で、黙祷した。

ベトナムを守り抜いた人々。
英雄である。
そこに、悲しみを飲み込んだハノイが、あった。



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