2009年07月21日

神仏は妄想である 250

一切智智とは、どんな智慧か。

法界体性智
智慧の本体である。他の四智の総合である。
密教では、全宇宙を法界という。この、智慧によって、宇宙の真理を理解体得するという。

大円鏡智
法界の、万象を如実に顕現する智慧である。実相を知る智慧である。実相の智慧を、清浄にして、円満、つまり、完全なる鏡に、たとえる。

平等性智
一切諸法の根本における、平等なる相を知る智慧である。宇宙の実在は、千差万別の姿を持つが、それを、存在たらしめている、根本の力、つまり、法則は、一つである。すなわち、平等である。

妙観察智
存在するものは、すべて、一つの法則によって、存在する。そのあらわれている相、その関係を見抜く智慧である。

成所作智
所作、つまり、活動して、成る智慧である。
一切諸法において、万物の実相を知り、平等にして、差別をあらわす宇宙の原理を体得するものは、一切法において、自由であり、自在である。すなわち、仏は、自由自在である。こころのままに、活動して、すべて成功しないということがない。
である。

これを、五智という。

桐山氏は、
大円鏡智は、われわれが持つ第八アーラヤ識を、ある行によって転換させたときに生ずる智慧だというのである。
また
平等性智とは、われわれの第七マナ識を、ある行によって転換させることにより得る智慧だという。
また
妙観察智とは、第六意識を、ある行によって転換するときにあらわれる智慧だという。
また
成所作智とは、前後識を、ある行によって転ずるときに発する智慧だという。
また
法界体性智は、第八アーラヤ識よりさらに深奥にある第九アンモラを識転換させたとき、おのずから獲得する智慧だという。

そして、桐山氏は、その方法が、あるというのである。
虚空蔵菩薩求持聡明法
こくうぼさつぐじそうめいほう
である。

この法を、修行して、空海は、即身成仏したという。

私は、かつて、この法を、自分の体験にもとづき、「目がカメラになり、耳はテープレコーダーになる」と表現した。
実際に、この法によって訓練した頭脳は、一度、目にし、一度、耳にしたことは、ぜったいに忘れぬ記憶機構を持つようになる。しかもそれはただ単になんでもおぼえてしまうというだけではなく、創造力を飛躍的に増大させ、発想が常人とまったくちがうようになる。まさに、大脳の生理機構が一変してしまうのである。
桐山

桐山氏は、師匠がなく、独自に、それを、独習したという。
空海も、桐山氏も、自己申告である。

空海は、
大聖の誠言を信じ、阿国大滝の嶽に登りよじ、土州室戸の崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す
と、言う。

つまり、修行満願の日、明星が飛んできて、空海の口に入り、聞持、記憶の悉地を得たという。

明けの明星が、口に入る。

ここ、ここに至ると、冗談ではない。
明けの明星が口に入ったと、思い込むことは、勝手なことだが、その勘違いを持って、我、即身成仏せりとは、笑わせる。

かつて仏陀がなし、ナーガールジュナ、アサンガがなし、空海、・・・
が、なしたように、だ。そうでなければ、密教は、所詮、観念の遊戯、自己満足の域を脱せぬことになろう。
それを救うのが、この求聞持聡明法である。
桐山

桐山氏は、現在、88歳前後であり、二度の、脳血栓で、倒れている。

これは、おかしい。
脳血栓で、倒れはしないはず。

いやいや、即身成仏しても、体は、人間だから・・・

何とでも、言える。

わたくしはいま五十代半ばであるから、九十歳くらいになって、求聞持脳二十歳くらいになるのではないかと思われる。その頃がわたしの知能活動の最盛期になるであろうと思う。
桐山

今は、車椅子で、やっと、動ける方である。
肉体の、衰えを、見抜けなかったのが、不幸である。

昔、天理教の幹部が、信仰で、ガンを治したと、大いに喧伝していた。が、その方は、今でも、生きているのか・・・
死んでいる。

ガンが、治るのは、特別なことではない。
治る人もいる。

たまたま、信仰していたというだけである。
私は、何も信仰していない人も、ガンが治ったという人を、知っている。

それに、結びつける、根性が、気に入らない。

余談であるが、神道系の、霊的能力者が、空海の、明けの明星は、天狗です、という。
天狗は、そういう、驚いたことをする、という。
さも、ありなんである。

霊的レベルが、低いのである。

奇跡のようなことを、見せると、大半の人は、信じる。
そして、騙される。

高いレベルの霊は、奇跡など、起こさない。
それは、霊能的能力のある人は、当たり前に、理解する。

インド
あの土地は、そういう、レベルの低い、霊的存在が、跋扈する。
それに、引っかからなかったのが、釈迦仏陀である。

ナーガールジュナも、アサンガも、引っかかったのである。

空海は、修験道に似たものであり、それに、中国の密教思想を付加したもの。
修験道とは、道教の影響が大きく、丁度、中国の、密教を付加できたのである。

インド、バラモン教の、呪術が、中国道教の影響を受けて、密教も、中国式になり、即興のプロ、空海が、陥ったのである。

そんなことを、しなくても、空海の、業績は、評価に値するものである。
ここでも、野心が、曇らせた。

欲望の中で、野心は、恵みではない。
野心は、野心に、帰結する。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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