2009年07月20日

悲しみを飲み込んだハノイへ 5

橋のもと来た道を、戻り、またバスターミナルに、下りる。

手を振っていた、親子の家に、向かうために、市場に出た。
市場は、朝が、勝負で、その頃は、皆、休憩時間、あるいは、後片付けをしていた。

雨にぬかるんだ道を、あっち、こっちと、歩いて、親子のいた、方向を探す。

次第に、その場所に近づくと、匂いが強くなってゆく。
何の匂いなのか、解らないが、兎に角、鼻を突く。

スラムのように、立ち並ぶ家々の前に出た。
更に、その奥に向かう。

ようやく、コンクリートで出来た、長屋に出た。
それは、コンクリートで、長く建てられたもので、ただ、その中が、コンクリートで、仕切られている家だった。

まず、豚がいた。
家の前に、豚小屋があるのだ。
匂いは、そこから出ていた。

更に、奥に行くと、親子がいた。
手を振っていた親子である。
母親と、男の子、女の子である。

私は、早速、ぬいぐるみを、取り出した。
それを、素直に、喜んで受け取ってくれた。

母親に、衣服は、必要かと、衣類を取り出した。
母親は、頷いた。

そこで、私は、二人の子のサイズを、取り出して、渡した。
その間に、子供が、他の子供たちを、呼びに行っていた。
次から次と、子供たちが、出て来た。

その子供たちに、それぞれ、ぬいぐるみを渡した。
ここでは、抵抗なく、受け取ってくれる。

その間に、母親たちも、出て来た。
そして、いよいよ、衣服支援である。

皆、必要だと、言う。
私が取り出したものを、それぞれが、受け取る。
どんどんと、人が集まって来た。

私たちは、少しずつ、奥へと、入り込んで行く。
大人物も、取り出した。すると、それを、次々と手を伸ばして、受け取る。

どんどんと、奥へ入った。
皆、外に出て来た。

子供も、出て来る。
何か、お祭りのような騒ぎになった。

バッグに入っている物を、次々と、取り出すと、それぞれが、何か言いつつ、手を伸ばす。文具が出た時に、一人の母親が、何か言う。きっと、私には、子供がいて、勉強に必要だというようなことを、言っていると、感じた。

奥の最後まで、入った。
その先は、川である。

そして、再度、道を、戻った。
すると、一人のおばあさんが、出て来た。

何と、おばあさんが、出て来ると、皆、静かになった。
私は、おばあさんにと、バッグから、衣服を取り出した。
その時は、誰も、私の傍に来なかった。

おばあさんに、手渡すと、おばあさんは、何か、丁寧に、私に話し掛ける。
それは、何とも、威厳のあるものだった。
それで、理解した。

ここでは、目上、長上に対しては、絶対的、権威を、認めるのだと。

おばあさんは、すべての、インドシナ戦争を体験しているであろう。
言葉が、通ずれば、色々と話を、聞きたかった。

おばあさんの言葉が終わると、一人の若い男が、出て来た。
そして、私にも、何か、くださいと言う。
そのように、感じた。

そこで、彼に合うものを、取り出して、差し上げた。

すると、また、皆が、私に、近づいて来て、色々いと、バッグの中身を、探る。
必要な物を、探している。

私は、汗だくだった。
そろそろ、バッグも、空になってゆく。
もう、何も無いという、状態になり、皆が、落ち着いた。

私たちは、写真を撮った。
子供たちは、とても喜んでいる。
何か、特別なことが、起こったのである。
信じられないこと。

そう、私も、信じられないことである。
まさか、ハノイにて、このように、衣服を手渡すという行為である。
一体、一年前までは、考えてもいなかったことである。

最後に、手を振り、皆と、別れた。
また、来ますねと、言う私。

彼らは、何事が、起こったのかという、戸惑いもあったと、思う。前触れ無しの、考えられないこと。
それは、彼らの今夜の話題になるだろう。

私たちは、支援を終えて、元の道を、戻った。
ベトナム・ハノイの、衣服支援の様である。



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