2009年07月16日

神仏は妄想である 246

永久に救われざる存在としての自己確認という、一種の絶望に見舞われないだろうか。すべての求道の根本にはこの種の絶望があるにちがいない。
しかもなお成仏への道があるとすれば、生まれ変わり生まれ変わっての殆ど永劫の修行の結果か、さもなければ死後の可能性にすぎない。そうならばこの肉身における成仏の可能性とは、不可能と同じことになるではないか。求信の途上で、誰もが直面する壁のようなものであり、またこの点でニヒリズムにおちいる。
しかし「可能性」とか「不可能性」とかいうが、それはどういうことか。そうならば相対的なものにすぎない。仏智は無分別、無限定である。仏と人間の距離についての自意識そのものが、妄想ではないと言い切れるかどうか。これを撤去し、仏性「即」人間の世界に生きる道はないか。
亀井勝一郎

仏と、人間の、距離とは、妄想である。

すべての、大乗は、その妄想に、まっしぐらである。
釈迦仏陀は、ただ、生活指導としての、内道、内省、つまり、心のあり方と、その、見つめ方を教えたのである。

死後の世界云々も、霊のこと、云々も無い。
それらには、触れなかった。触れる必要がなかった。
いかに、心を平安にして、生きるか。それが、テーマだった。

心を平安にして生きる。そして、平安にして、死ぬ。
ただ、それだけの、釈迦仏陀の行為と、指導だった。

ここ、ここに至ると、それが、とんでもない、化け物になったのである。

三蜜加持すれば促身に成仏する。
空海

三蜜加持とは、何か。

仏の心のはたらきと、わが心のはたらきを同体にし、
仏のことばのはたらきと、わがことばのはたらきを同体にし、
仏のからだのはたらきと、わがからだのはたらきを同体にする。
桐山靖雄
具体的にすると、三蜜加持とは、「印契」いんげい「観想」「真言」である。

印契とは、手と指を使い、様々な形をつくる。
印相というもので、印を結ぶという。
それで、様々な物事を象徴するという。
身蜜ともいう。

観想とは、心の中で、定められた物事を、強く観念すること。
意蜜という。

真言とは、仏の真実の言葉とされる、梵語で成り立つ、一定の章句を口で唱える。
語蜜という。

この三つの所作が、連続して、一つの法を成立させる。
この、三蜜加持の手法をもとに、「金剛界の法」と「胎蔵界の法」と、二つの、即身成仏の体系がある。

説明する前に言うが、これは、自己暗示である。
自己暗示に入る、方法である。

密教が、釈迦仏陀の教えではないことが、よく解るものである。
これは、全く、バラモンのものである。
もし、これで、即身成仏するのならば、別に、こんな方法を使わなくしても、いくらでも、成仏できる。

我、成仏せりと、思い込めば、足りる。

全くもって、こけおどしである。

読みやすくして、以下、少し説明する。

金剛界の法である。

仏眼 合掌して、二頭指各々中指の上の節の背につけ、ニ小指の頭あい支えて、中間を開く。二大指もまたしかなり。
これ如来五眼の印なり。
胸の前に当てて真言七辺を誦して、身の四処を加持せよ。
真言にいわく。
のうぼう ぼぎやばとう うしゆにしや おんろろそはろじんばら ちしつちしつたろしやに さらばらた さたにえい そわか

このようにして、印を結び、真言を唱えて、心に仏を観念すると、成仏、すなわち、仏になるというのである。

一体、仏とは、何かということになる。

更に、梵語の、文字を、思い描き、それぞれを、体のそれぞれの位置で、思い描く。

あ ばん ばん らん らん か か か きや きや あ
という、梵語に意味を与えて、自己暗示をかけるというもの。

自律神経訓練法というものがある。
両肩が、温かい、温かい、温かい。
両腕が、重い、重い、重い。

それを、実に複雑に、ならやら、儀式的に行うことによって、何やら、何やらの、心境になってゆくというものである。

桐山氏は、
仏眼、この印明をむすぶがゆえに、自他一切の障害を排除して法が成就する。
というが、ご苦労なことである。

これから、少しばかり、桐山氏の、解説で、その方法と、意味を紹介するが、実際の、真言密教では、通常の言葉の理解では、理解できないし、彼らは、成りきっている、つまり、自己暗示に、嵌りまくりなので、人も、我も、解らない言葉で、語ることしか出来ない。

ただ、言い分はある。
実際に、行じることだと。そうすれば、解るというのだろう。

死ぬまでの暇つぶしでも、そんな暇は無い。
空海の時代なら、ともかく、そんなことで、時間を使っていたのでは、世界国家のためにならないばかりか、悪因縁を作るのが、オチである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。