2009年07月10日

神仏は妄想である 239

日本の密教を批判する場合、空海の、著書を批判するのが、易しい。しかし、それは、大変な難しいのである。

原文を書いて、それをまた、現代語訳しなければならない。それで、空海の求めたところを、求めたという、阿含経を掲げて、阿含宗なるものを、立ち上げた、桐山靖雄の、密教入門を使用する。

真言密教と称する、空海の真言宗は、死に絶えている。
勿論、本人たちは、まっとうに、密教を行じていると、信じている。
役立たずである。

ところで、わが国で普通「秘密仏教」あるいは「密教」という場合は、それは、シナを経て伝えられ、日本的に組織化され、体系化されて展開した真言宗密教、あるいは天台宗密教をさす。されは、インドにおいて八世紀初頭までに栄えた初期と中期の密教を基盤とするめものであるが、いまここでとりあげる秘密仏教は、それら日本の密教だけを対象とせず、それらの日本の密教を超えてインド密教の原点にさかのぼり、密教の秘密の教法を究明しようとするものである。
桐山靖雄

真言、天台と、並ぶべくの、意気であるから、この、試みと、追求欲求は、理解する。

わが国では、密教とは仏教の堕落した形態であり、ヒンドゥー教と混合して外道化し左道化した仏教であるという見かたが、いまなお尾を引いているようである。しかし、こういう、密教を異質物として仏教の中から極力疎外しようとする傾向は、実は、十九世紀におけるヨーロッパ人の学問的な嗜好に由来するのである。すなわち、イギリス、ドイツをはじめとするヨーロッパの初期の仏教研究の主流は、パーリ語仏典を中心とした原始仏教にその重点が置かれた。そうして、かれらは、かれらの宗教にみいだされない合理性を原始仏教の中に発見し、その倫理性とともに高く評価した。
桐山靖雄

これが、明治期から、日本の大乗仏教を堕落させた、原因だとも、言われる。
つまり、学者が、ヨーロッパの、仏教学を取り入れてしまったゆえであると。

しかし、これは、実に良い刺激だった。
その以前は、原始仏典など、読むこともなかったのである。

少なくても、それにより、原始仏典を読み、更に、原始仏教の、考え方を知る手掛かりになった。

それゆえ、大乗の精神が、歪めれた、云々という、アホがいるが、歪められる程度の、大乗仏教であったといえる。

ただし、
しかし、もっとも残念なことは、シナ化、あるいは日本化した仏教をきらって、ヨーロッパの仏教学によってインド仏教を研究しようとした日本の仏教学者たちが、ヨーロッパの学界のこういう傾向をそのまま受け入れてしまったことである。
桐山

それは、時代性であり、時代精神の表れである。

桐山氏は、密教の偏見に対しての、論述であるが、私は、当時の、学者が、それを、取り入れたことで、更に、仏教を知る、よすがになったと、思う。
それは、大変に良いことだった。

原始仏教に、重きを置いた、イギリス、ドイツの仏教学者によって、原始仏教の、姿が、見えたのである。

それを、元に、日本の大乗仏教の批判がなされたことは、理想的である。
しかし、それだからといって、日本仏教は、何も、変化せず、変容することもなかった。従って、ヨーロッパの、仏教学に、学者が、傾倒しようが、どうでもいいことである。

学者は、学者である。
宗教家は、宗教家である。
共に、同じ穴の狢である。

学者は、学生から、金を得て、宗教家は、信徒から、金を得る。

別段、命に別状無し。

原始仏教、それを、引き受ける上座部仏教を、大乗仏教は、蔑視して、小乗仏教と、称した。
大乗こそ、本来の仏教である、云々。
そして、妄想の大乗経典を、掲げて、消滅した。
完全に消滅したのである。

その、発祥の地に、今、仏教は、存在するか。
インドでさえ、日本人の、僧侶が、新たらしい仏教として、布教活動をしている、始末である。
勿論、カースト制の強い意識のある、インドで、その反動により、仏教徒が、多くなっている。だがしかし、法律では、カースト制は、無くなったが、根強くインド人の意識にあり、仏教徒は、カースト外として、甚だしい、差別の中に生きているのである。

それでは、上座部仏教の流れを汲んだ、小乗は、どうだろうか。
その形は、それぞれだが、タイ、ラオス、ミャンマー、ベトナム、カンボジアと、東南アジアにて、生きている。

大乗が、生きているというか、のさばるのは、日本のみである。
中国仏教も、壊滅した。

もし、江戸時代の、キリシタン禁止が無く、徳川家光が、檀家性を起こさなければ、日本の大乗仏教も、壊滅している。

先祖代々の土地と、墓などの、譲受から、檀家制度が生きていて、嫌でも、継ぐことになっているのである。

そこに、胡坐をかいて、のうのうと、大乗仏教、更には、鎌倉時代に出来た、名ばかりの、新興宗教である、鎌倉仏教の宗派として、生き続けて、生き恥を晒している。

作物の、肥料にもならない、教義を掲げて、人を救うというから、仰天するのである。

誰も、成仏することなしの、日本の大乗仏教である。
教祖、開祖は、誰ひとりも、成仏したとは、言わなかった。言えなかった。

即身成仏したという、空海は、今でも、生き続けていると、妄想を信じる僧たちによって、死後も、化け物にされたままである。

空海は、あの山に、留め置かれて、気の毒とは、信者たちは、考えない。
甚だしいのは、四国巡礼である。
同行二人と、空海と、共に歩くというもの。
それで、人生駄目にする人、多々いる。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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