2009年07月09日

神仏は妄想である 238

釈迦仏陀在世当時、更に、原始仏教教団においては、世俗の呪術密法行為は、禁止されていた。いや、厳禁である。

大乗仏教は、しかし、部分的に、それを、取り入れた。
何故か。
堕落である。

それは、陀羅尼としての、経典である。

西暦四世紀頃から、呪術だけを説く、教典も製作されることになるのである。

その、呪句を、真言、マントラとも、呼ぶ。

真言陀羅尼を読誦して、それにより、心を統一し、諸々の、仏を供養するという。
更に、それを、いかに、念誦するか、いかに供養するかということの、規定も、行われた。

方形、円形の壇に、仏を安置して、祭祀を行うのである。
この、護摩壇といわれるものは、ヴェーダの祭祀法を受けている。

その、壇を、曼荼羅と呼び、後に、大日如来という、化け物を、創造する。

その、大日如来を中心にして、仏の図を作り、曼荼羅という、奇妙な図を、創造して、意を得るという、堕落である。

そして、恐ろしく、愚かな、印契という、手指の形を作り、その気になったのである。

その印を、手指で作り、その仏になるという、漫画である。
それが、華厳経の哲学と、結びついて、一つの宗教体系が、作られた。それが、秘密仏教、密教といわれる。

開祖は、竜猛、りゅうみょう、である。
西暦、600年頃。

七世紀半ばの、西南インドで成立した、大日経の説く、胎蔵界曼荼羅、そして、七世紀末に、東南インドで成立した、金剛頂経の説く、曼荼羅を、金剛界曼荼羅と、称する。


この、密教は、730-1175年頃の、パーラ王朝の統治下において、盛んになった。

調べてゆくと、仏教とは、全く関係ないのである。
新しい宗教体系である。
ただ、バラモンの影響大であり、華厳経からの哲学を取り入れているということでの、仏教とするには、あまりにも、雑である。

新興宗教である。

密教においては、根本の仏を、創造の産物である、大日如来におく。
更に、その、大日如来が説いた教えが、密教というから、頭が、おかしくなりそうである。

釈迦仏陀という、実在の人間が、説いた、教えを、仏法というのだが、違う。
大乗仏教からは、釈迦仏陀ではなくなる。
すべて、創造の産物を、創作して、語らせるのである。

また、密教は、大乗仏教とも、違うという意味で、金剛乗、こんごうじょう、と、称するのである。

実に、閉鎖的なのが、魔的である。

秘密の教団であり、特有の、複雑な儀礼を創作し、人は、師について、教えを受け、その秘儀によって、灌頂を受けて、一人前である。
灌頂とは、頭の上から、水を注ぐ儀式である。
キリスト教の、洗礼に似る。

水を振り掛けるというのは、原始宗教行為でも、数多く、確認される。
それは、命の水を受けるという、原始的感覚によるものであり、この、密教の灌頂とは、意を異にする。

更に、インド魔界の、従来の仏教にはなかった、神々も、登場させるという、段取りである。

要するに、すべての、インドの宗教のモノを、取り込み、それも、大日如来の化身であるとする。
まるで、ゴミ箱のように、民間信仰も、取り入れて、大曼荼羅を構成させるという、呆れた、行状である。

大乗仏教を、屁のようにあしらうのは、六波羅蜜という、修行実践などしなくても、衆生は、本来、仏性を宿している。ゆえに、諸仏を、念じて、陀羅尼を唱え、密教の特別な儀式にあずかることにより、容易に最高の境地に達する。そして、仏になるというものである。

日蓮が、題目により、六波羅蜜を超えるという、感覚に近い。
共に、釈迦仏陀の、教えには、全く関係の無い、外道である。

即身成仏という、誇大妄想の極みを、唱えるのである。

生きたまま、仏になるという、妄想である。
つまり、仏という、化け物になるということである。

更には、現世の、幸福、快楽を承認する。
人間の、情欲、煩悩は、克服されるものではなく、抑圧もされないという。
それは、尊重されるべきであると。
不純な、愛欲を、一切衆生に対する、慈悲にまで、高めればよいのである。

ここには、古の日本の伝統である、欲望は、恵みであるという、純真な、かむならがのみち、の、考えとは、全く違う。

要するに、密教創設は、インドすべての、思想を包括して、その、魔界の神々までも取り込み、バラモンを超えて、人を、支配しようとする、限りなく、激しい、支配欲が、見られる。

煩悩を、肯定する思想は、当時の俗信に対する妥協と、卑猥な儀式を取り入れる危険性があったと、中村元は、言うが、危険性ではなく、危険だったのである。

インドには、古くから、性愛の手引きが、多くある。
それらをも、肯定して、取り込む作戦である。

結果、一部の、密教の信徒は、男女の性的結合を絶対とする、タントラの儀式の影響をも受けて、左道密教を、立ち上げた。
インドラブーティが、創始者といわれる。
九世紀以後盛んになったが、儀式の中に、性的享楽を、取り入れることで、それ自体の解体を、促したのである。

インドには、周期的に、そのような、セックス賛歌の団体が、生まれる。
ピッピーに、歓迎された、インドの、宗教団体が、アメリカで、盛んになったこともあるが、結果は、崩壊した。

世界の和尚といわれた、バグワン何とかという者の、著書は、決して、何を言っているのか、解らないものである。
寝ぼけた、説教を繰り返す、魔物である。

この、密教を、種に、真言宗、真言密教を立てたのが、稀代の詐欺師、空海である。

内道である、釈迦仏陀の、教えとは、全く関係のない、魔物、魔界の手引きである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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