2009年07月05日

神仏は妄想である 234

ただ今、法華経を書いている。
ちなみに、私は、そのために、日蓮宗系の雑誌なども、取り寄せている。

その一つ、身延の日蓮宗の、機関紙を取っている。

既成宗教の、断末魔が、聞えるのである。
何から何まで、売るという。

面白いのは、ご本尊である。
それも、売る。
その、チラシの中に書かれてある言葉を、見て、笑った。

核家庭を狙う新興宗教などの勧誘に我が家が代々信仰していることを示したい

という文句である。
たかだか、600年程度で、たいそうな、宗教だと、思っている、愚かさ。彼らも、新興宗教である。

お経本は、一人一人に一冊携帯しましょう

そして、お香から数珠、写経道具から、何から何まで売る。
会員から、信者から、取れるだけ取るという精神である。

あの、身延山に、日蓮が、入って、死に物狂いの生活をしたことなど、忘れているのであろう。
ぬくぬくとして、生活している。
修行といっても、厳寒の海に、漁をする漁師のようでも、秋の実りのために、辛苦する、農業のようでもなく、ことさら、修行している様を、見せるという、アホ、馬鹿、間抜け振り。

捕ってみよ、育ててみよ、作ってみよ、と、言いたい。

嘘八百を人に語り、御仏の、云々という、馬鹿馬鹿しさ。
御仏に会うこともなく、知らない、御仏を、語るという、愚かさは、幾度か、死んでみなければ、分からないだろう。

その機関紙も、寝ぼけたことばかりを、書いている。
一体、自分たちを、何様だと、思っているのか。

歴史的建物で、足りる。
もう、役目は、済んだ。

ちなみに、私も、法華経を読経する。
代々の日蓮宗の信徒の、相談を受けたりすると、そのような事態になることがある。

毎日、お経を上げているという、奥さんがいて、お経の意味は知らないが、朝、仏壇に読経するという。
霊的に事柄が多くて、云々との、相談などの場合は、同調して、私も、読経する。

亡くなっても、家にいるという、霊的存在であるから、次元を移動しなければ、ならない。そのための、礼儀として、読経する。

浄土宗系のお経は、長く、くどいので、南無阿弥陀仏で、済ます。
私の、実家が、浄土宗であるから、慣れたものである。

曹洞宗は、まだいいが、真言宗になると、バラモンをやっているようで、気が重い。
加持祈祷、いつまでやっているのだろう。
大半、浮遊霊が、集う。

真っ当に、太陽を崇敬して、日拝をして、よろしい。
それで、十分である。
全く、お天道様があって、生きられるのだから、理に適っている。
一秒でも、太陽が消えると、皆、死滅する。

釈迦仏陀のように、夕日を拝しては駄目。
朝から昼間の太陽である。

仏教が、陰なのは、釈迦仏陀が、夕日を拝したからである。
エネルギーが、引っ張られる太陽を拝して、陰に傾く。
その点、かむながらの道、日本の伝統は、朝日と、昼間の太陽を拝するのみ。

清き、直き、明き心という、おめでたい、少し、能天気な、陽であるから、楽しい。

生きること自体、陰であるから、能天気の太陽崇敬の方が、いい。

ただし、陽気暮らしを勧める、天理教のような、邪霊、悪霊の類の、霊の話を、真っ当に信じているのは、実に危険である。

どこから聞いてきたのか、霊も、言うものである。
我は、何々であるぞと、出る霊に、碌なものは無い。

ましてや、金神様など、泡を吹く。
それを信仰しているうちに、金神様が、憑いて、大本教の出口ナオが、お筆先を書くという、哀れ。
人間とは、寂しいものである。

孤独の極みが、そのような、霊媒をさせる。

更に、自己顕示欲が、拍車をかける。

どれほど、文明が進化、発展しても、人間は、迷う。特に、宗教に迷う。更に、宗教は、心を扱うという。

見事な、知識人が陥るのは、キリスト教である。
えっ、死ぬ前に、カトリックの洗礼を受けたの、ということに。

死ぬのが怖かったんだねーーーーである。
安心したいと、悪魔の神に帰依するという、段取りである。

面白いのは、宗教を渡り歩くという人。
改宗を繰り返しているのである。
その度に、買った物を、ごっそりと、捨てる。

話を戻す。
身延の日蓮宗を信仰していた、ある、真面目な、おばさんがいた。
いつも、病気がちであり、夫も寝たきり。
どうしても、腑に落ちない。
毎朝の、お勤めをして、信仰深いのである。
私に、相談に来た。
すべてのもの、身延に返しなさい。
拝むな、を、勧めた。
拝んで、苦を呼び込んでいたのである。

一人で、小さな花屋を切り盛りしていた。
素直な人で、私の言うとおり、すべてを、返した。
そして、挨拶に来た。
すっきりしました、と。

そういう例もある。
拝めば、拝むほど、どつぼに嵌まる。

一度、花屋に出向いた。
今は、何もしていません。ただ、一生懸命働いています。
それで、いい。

心だに 真の道に かないなば 祈らずとても 神や守らん
菅原道真

真っ当に生きていれば、関わる霊位が、守るのである。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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