2009年06月17日

性について117

イギリス
十八世紀には、それまであまり触れられなかった同性愛について、あからさまにとりあげられるようになった。性についての解禁は、それを強く意識させ、「ホモフォービア」をつくり上げるといった矛盾した結果を出現させた。
海野弘

ウイリアム三世は、その過渡期にある。
同性愛は、王侯貴族の、暗黙の悪徳であったのか、彼の時代から、公の攻撃とされるようになる。

王自身も、それで、風刺されるようになる。
だが、ウイリアム三世の伝記には、それに触れることがなかった。
だが、オランダにては、同性愛のタブーがなくなり、彼の伝記には、それが、触れられた。しかし、米英の伝記作家は、それを、避けているという。

十八世紀は「理性の世紀」といわれる。魔術的世界から近代的知性、科学が目覚めたといわれる。英国とオランダで、政治的自由を持つ国家ができた。しかし、それとは逆に、同性愛への攻撃や差別はより厳しくなっていく。この矛盾が近代化の不思議だ。ある意味で、「同性愛」「ホモフォービア」は近代がつくったものだとさえいえるのである。
海野弘

前回も、書いたが、十七世紀末から、パリなどでは、警察制度が確立し、監視が制度化して、覗きや、スパイが一般化した。それは、私生活が、組織的に、覗かれるということである。

同性愛の、監視が、警察の一つの仕事となる。
男色パトロールが行われる。

宗教的な、罪とされていた、同性愛が、世俗的な犯罪とされるようになる。
ペデラスティ、ソドミーなどの言葉は、ホモセクシャリティ一般を、意味するようになる。

だが、フランスの、それは、世俗化し、風俗犯罪としたが、そりにより、火炙りの刑という、重刑は、無くなった。

ぺデラスティ、ソドミーなどに、表現される、セックスに関しては、後で、書くことにする。要するに、同性愛セックスというものは、何かということで・・・
イギリスでは、十九世紀のはじめまで、厳しい、処罰が続いた。

フランスは、できるだけ、死刑を避けたが、イギリスでは、逆に、死刑をエスカレートさせたという。

しかし、イギリスで、同性愛を、厳しく取り締まることは、一つの伝統を破壊するということにもなる。
何故なら、王侯貴族の、男子は、それを通して、騎士道などを、学んだからである。

であるから、ロンドンの、大都市によって、ゲイ・カルチャーが、一挙に、花開いたという。王政復古後、クラブ文化が、賑わい、コーヒーハウスが、できる。

つまり、そこで、ホモソーシャルな集まりが、増えるのである。

中でも、ホモセクシュアルを明確に意識したのが、モリーズ・クラブである。
他の、クラブも、その流れにあったが・・・

モリーズとは、おかま、ミソジニイ、女嫌い、ホモセクシャル、である。
それは、ロンドンの、至る所で、見かけるようになったという。

1690年、風俗改良協会が、設立されて、アンチ・ホモセクシャルキャンペーンを展開する。
そして、協会は、ホモの、ブラックリストを発行したのである。

二千名ずつの名が、記され、付け加えられていった。
つまり、宗教に代わって、道徳が、支配するようになるのである。

フランスでは、1783年が、男色での、死刑が、最後であるが、イギリスでは、1835年まで、続いた。

後に、国家についての、哲学的考察の中に、同性愛を主たるものとる、考え方が出てくるので、紹介する。
実に、面白いものである。

さて、西欧の文化的、転変の中では、同性愛というものが、底流に流れているという、よい例がある。

十八世紀半ばから、イギリスでは、ゴシックが、流行した。

ゴシックとは、中世的な、奇怪な、野蛮な、などという、意味がある。
それは、美術史から出た言葉である。

ルネサンス以来、中世の建築などは、過去のものとされていたが、突然、それらの、廃墟に、価値を見出す動きがはじまる。

人々が、クラシックに、飽き飽きしたというのである。

そして、その、ゴシックリバイバルに、関わった人々が、ホモ・コネクションである。

その、先駆者が、詩人の、トーマス・グレイである。
詳しいことは、避けるが、勿論、ゲイである。

だが、後の、文学史の中では、彼の、ホモセクシャルについては、触れられていない。

ゴシックと、書簡というのは、ホモセクシャルを語る、キーワードだと、海野弘は、言う。

イギリスでは、取締りが厳しかったが、大陸では、その時代が終わり、自由な環境となっていたゆえに、多くのホモセクシャルな男たちが、イタリアなどに、渡ったという。

兎も角、ホモセクシャルを無視しては、語れない歴史の数々があるということで、調べている私も、驚いている。

さて、プロシア王であり、啓蒙君主として、有名な、フリードリヒ大王に、触れる。
父王が、没して、王位に就いた、フリードリヒは、その同性愛行為をもって、日々を暮らした。

哲学者、ヴォルテールは、その自伝の中で、フリードリヒとの、交友を、生き生きと描く。

王には、かねがね私より若い寵臣たちを相手に、異様な愛情表白を行う癖があった。そこであるとき王は、私が彼らと同年輩ではないことも、私が美しい手を持っていないことも忘れて、接吻するために私の手を取った。私は王の手に接吻した。そして彼の奴隷となった。
ヴォルテール
彼も、王に惚れてしまったのだ。

ただ、その態度は、
ヴォルテールは自分の中にひそんでいる、いくつもの性向にその都度正直に振舞いながら、決してそこにとどまれないで、そのどれをも絶対化することなく、飛び移ってゆく。
海野弘

何度か、書いたが、男性性というもの、女性性というものは、男女共に、意識下の中に有するものである。
その、振幅により、その性意識が、揺れ動く。

ホモ、ゲイを、嫌悪するという人に、私は、その要素を多分に感じる。
もし、そのような、要素がなければ、そのことに、反応することは、無い。
全く、ゲイ的要素の無い、男は、ゲイを、理解不能な感覚として、容認する。

差別の強さは、差別する側に、その要素が、潜んでいること、多々あり。

宗教的罪とした、時代も、その宗教者たちが、男色行為を行っていた。
それで、裁きを下すという、混乱である。

だが、まだ、現代に続く、ホモセクシャルの時代は、来ない。
現代に続く、ホモセクシャル、ゲイセックスも、進化ゆえのものであると、私は、考えている。




posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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