2009年06月16日

性について116

ルネサンスの、西欧は、ホモフォービア、つまり、ホモセクシャルを忌み嫌うという、意識が広がっていた。

人間主義ならば、同性愛に関しても、寛大な意識を持ったということは、全く無い。

勿論、その根拠は、キリスト教である。
そして、その異端審問の本拠が、スペインであったというから、それだけ、同性愛が、盛んだったといえる。

スペインの次が、イタリア、そして、フランスである。
イギリスは、まだ、のんびりしていた。デンマーク、スウェーデン、ロシアなどは、ほとんど、罪悪感がない。

フランス、アンリ二世が、メディチ家の、カトリーヌ・ド・メディシスと結婚したことにより、イタリアの、ルネサンス文化が、なだれ込んだといわれる。

時代は、そして、宗教戦争の最中である。

キリスト教の分裂と、抗争が、ホモフォービアを助長したとも、言われる。

中でも、カルビン派は、カトリックの腐敗を糾弾し、僧侶たちの、悪徳として、男色を攻撃した。
カトリックの方も、異端審問し、男色を異端として、裁いた。

フランスは、面白いことに、同性愛をイタリアの、悪徳と見て、それを排除する法律を作ったが、それは、中流以下の人々に、適応されたのであり、王侯貴族は、自由だったという、何とも、不思議なものである。

宗教戦争について、詳しく書くことは、避けるが、最高潮は、パリの、聖バルテルミ祭の、大虐殺であろう。
バリだけで、数千の、プロテスタント、ユグノーが、虐殺された。

当時の、アンリ三世は、カトリックに、そして、その子、アンリ四世も、暗殺されている。

そして、ルイ十三世の、登場である。
彼は、兎に角、女性を、恐れた。いつも、男たちといることを、好んだという。
その子の、ルイ十四世は、ホモを嫌ったが、何と、彼の周囲は、ホモセクシャルが、多く存在した。

1682年、一つの、キャンダルが、発覚した。
貴族の息子たちが、秘密結社を作り、男色関係を、行っていたという。その中には、ヴェルマンドワ伯爵も、入っていて、大問題となった。彼は、十五歳の、美少年で、ルイ十四世と、愛妾の間に生まれた、息子である。

ルイ十四世は、関係者を、容赦なく追放し、その息子も、公の前で、鞭打たれ、追放された。

だが、ルイ十四世の、弟の、フィリップは、バイセクシャルである。

兎に角、西欧でも、同性愛は、実に盛んだったということだ。

一々、書き上げていれば、きりが無い。

それでは、イギリスを見ると、17世紀までは、表立った議論はなかったのである。
当然、同性愛の迫害もなかった。

それを取り締まる法律が、出来たのが、1533年である。
当時の、ヘンリー八世は、ローマ法王と、対立し、カトリックへの、嫌がらせとして、決めたという。破産しかけた、ヘンリー八世が、その罪で、修道院を取り締まり、財産を奪おうとした。

つまり、同性愛は、修道院で、盛んだったということ。

その法律は、ヘンリー八世の娘、メアリ一世によって、緩められた。
彼女は、カトリックで、スペイン派である。修道院の、財産を守ろうとした。

次の、エリザベス一世は、また、ローマ教会と、スペインに対立し、同性愛を取り締まる法律を、厳しくした。

エリザベス時代に、英国法が、確立され、19世紀まで、そのままであった。

シェイクピアでさえ、ソネット集で、同性愛を歌うのである。
彼が、同性愛を歌うということに、困惑したのは、学者たちである。
何のかんのと、理屈をつけて、弁明したが、20世紀後半になって、やっと、その議論が真っ当に出来るようになった。

それ以後の、イギリスでも、同性愛に関する、情報は、こと書かない。

ここでは、単に、それらを俯瞰するのに、留める。

イギリスの、本格的、スキャンダルの幕開けは、1642年、チャールズ一世が、議会と、対立し、内乱がはじまってからである。

クロムウェルの、クーデターで、チャールズは、捕らえられ、処刑された。
そして、共和国の誕生である。
しかし、クロムウェルの死後、共和制が、崩れ、チャールズ二世による、王政復古がなされた。

その後、弟の、ジェームズ二世が、即位したが、カトリックであった彼を、国民は、支持しなかった。プロテスタントである、娘の、メアリに期待するのである。

メアリは、オランダの、オレンジ公ウィリアムと、結婚する。
ウィリアムは、ジェームズを追放し、妻の、メアリと共同で、王位に就いた。

時は、議院内閣制などの、イギリスの近代史がはじまる、時期である。

しかし、この、ウィリアム三世は、オランダから来た、外国人と見られ、国民の人気はなかった。
更に、彼は、ホモセクシャルであった。

メアリと、他の女性も、愛したが、それでも、彼は、同性を好んだ、

彼は、英国のスチュアートと、フランスのブルボンの、両方の王家の、ホモ・コネクションと、つながっていた。

ここでも、その、詳しい内容は、省くが、華々しい、同性との関係がある。

簡単に言えば、王の周囲には、ゲイの若者で、溢れていたといえる。



posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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