2009年06月09日

性について109

同性愛については、フロイトが、最も、寛大な理解力があったと、いわれる。

レオナルド・ダ・ビンチの幼年期の一記憶への、注で、次のように書いている。
誰でも、たとい正常な人間でも同性愛傾向は多少に拘わらず持っているものであって、生涯に一度位はそれをやったことがあり、無意識にそれを保有しているか、あるいは精力的な反対態度を形成することによって、同性愛へ抵抗するかしているものだ。

フロイトは、だれにもある傾向と見ることで、「第三の性」という考え方や、先天的同性愛と後天的同性愛という二分化に反対した。同性愛を特殊なものと見るべきではない、というフロイトの精神分析の考えは、性科学になかなか受け入れられなかった。
海野弘

その、フロイトの、説を、支持したのが、キンゼイ報告である。
誰もが、多少は、バイセクシャルな傾向を持つというものだった。

性愛は、異性愛、同性愛に二分されるのではなく、0から6まで、七段階に、連続的に、変化してゆくというものだ。

更に、1981年に、ハイト・リポートである。
七千余人のアメリカ人を対象に、体験をリポートとして、具体的に書いたものである。

43パーセントの男性が、少年時代に、少年と性的関係を持ったと、答えている。
彼らの多くは、大人になり、異性愛者になる。
行為があったからといって、同性愛者になることは、ない。

また、その中で、男同士の友情についての、項目である。
多くの男性は、親友は、いないと、答えるのである。

学生時代には、いたが、今はいないのである。
何故か。

男は、一対一の付き合いを、避けるのである。
それは、ホモと思われたくないという、理由である。
男の付き合いは、グループの付き合いに、多く限定されるのである。

ホモフォービア、つまり、同性愛嫌悪である。
同性愛を恐れているのである。

その傾向は、特に欧米で強いのである。

我々の文化では、どれほど日常的で自然なものであっても、男同士の肉体的接触はタブー視されている。いかな大勢の男たちが、自分の息子が少し大きくなると、こわがって、さわることも抱きしめることもできなくなっているかということも判明した。
ハイト・リポート

ホモセクシャルという言葉には、同性・性的傾向と、訳すことができる。
同性愛という、訳は、愛という、精神的な言葉が入る。

セクシャリティの研究は、性だけを、扱うようである。
愛という、精神活動を見ないのである。

アンソニー・ギデンズは、性の問題について書こうとして、愛情や、ジェンダーを語ることになったという。
純粋な関係性とは何かである。
そこには、男女の性差が無く、対等という意味のみが、ある。

性差を超えて、純粋な、人間の結びつきを、どのように成立させるのかという、問題になった。

そこで、同性愛という、関係が、大きなヒントになるという。

社会生物学者である、E・O・ウィルソンは、人間の本性についてで、
同性愛は、もしかすると、生物学的な意味では正常なものかもしれない。それは、初期視線類の社会組織の重要な一要因として進化した、一種の明確な親切行動なのかもしれないのである。
と、述べている。

以前、出来損ないの男たち、という、本を取り上げたが、男の体は、女の体の変形であるというもの。

人間の最初は、女からはじまったというものだ。

同性愛とはなにか、生まれか育ちか、といった謎は、まだはっきりとは解かれていない。今いっているのは、人間はもともと両性的であり、多かれ少なかれ、同性愛的要素を持っているということだ。それだからこそ、同性愛は人間の絆、愛の歴史の中である役割を果たしてきた。それは、人と人はつながり合うことができるのか、人は他者を純粋に「性差を超えて対等に」愛することができるのかを問いかけてくる。
海野弘

今までの、価値観を、破壊して、改めて、同性愛、更には、異性愛と、様々な関係性における、愛の行為を、見詰めなおす時期なのかもしれない。

それは、寛容の歴史の、幕開けでもある。

政治によっても、宗教や、民族的価値観によっても、差別されない、愛の形である。

未来の萌芽は、今、現在にある。
そして、今、現在は、未来を内包して、進んでいる。

日本では、女っぽい男や、ゲイも、ホモも、侮蔑の意味を含んだ、おかま、という言い方をする。

同性愛と、一口に言っても、男として、男を愛するタイプ、そして、性愛を共有するタイプと、女らしい男を愛するタイプと、色々ある。

更に、ゲイと、ホモの違いは、あるのかといえば、ホモは、病理学により、命名されたもので、ゲイは、同性愛者が、自ら、ゲイと誇りを持って、自称するものと、私は、捉える。

いずれにせよ、同性愛として、統一して、語ることにする。

それには、精神的愛情も、含まれてある。

ゲイのセックスは、性の交わりのみを、追及するタイプも多いが、私は、ここで、ゲイセックスを取り扱うのではない。

ゲイセックスのみならず、異性間でも、セックスのみ、追及する人も実に、多い。
それは、売春の歴史を見れば、一目瞭然である。
単なる、性欲の一つとしての、同性愛を、見詰めるのではない。

射精欲、オーガズム欲のみを、求めるものは、マスターベーションで、足りる。しかし、何故、人間は、人間として、人間を求めるのか、である。

性欲、情欲、肉欲と、日本語では、多くの表現がある。

性欲、肉欲は、単に、セックスの楽しみに至る欲望であるが、情欲になると、情けという言葉がある通り、単なる、性欲、肉欲ではないものになる。

性も、我なるものを、求めて、漂流しているのである。
最も、我に近いもの、である。
人間の大脳化は、とてつもなく、人間を進化させた。

大脳の、性的快感のみならず、大脳の精神、心を扱う部分に、大きく負うものである。

同性愛を、探ることは、それを、より鮮明に意識することになる。



posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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