2009年06月07日

性について 107

ゲイという言葉は今日英語を始め現代語で、同性とのエロティックな接触を好む者を指して用いられているにもかかわらず、これまでのところ学問の領域で使用することには反発があった。
ボズウェル

同性愛者、ホモセクシャルという言葉は、ギリシャ語の接頭辞と、ラテン語の語源を使用した、複合語である。

それは、同種の意味である。
つまり、同性の、という意味なのである。

人間関係もしくは性行為に関しては、この定義はまったく適切である。
ボズウェル

だが、問題は、ホモセクシュアルな人とは、なんであろうか、ということである。

つまり、同性愛者とは、何者なのか・・・という、テーマである。

同性愛の行為に耽る人のこと・・・
では、一回でも、同性愛を体験した人は、同性愛者か・・・

更には、その行為を、夢見るばかりで、行為しない人は、どうなのか・・・
その人は、同性愛者か・・・

歴史的人物の同性愛と異性愛の経験を定量化する方法はほとんどの場合考えることもできないし、かりに可能だとしても、そのような分析はほとんどなに一つ示してくれないであろう。たとえば、アレクサンドロス大王には数百人の女および二人の男との性交渉があったが、二人の男の一人バゴアスが彼の性生活の中心であることが疑いない、といった場合、統計学ではひどく誤解を招く構図しか得られないことになろう。
ボズウェル

ホモセクシュアルという言葉は、19世紀後半の、ドイツの心理学者たちによって、作られた言葉である。

ゲイという言葉は、それより、多分に数世紀さかのぼるようである。
そして、はるかに、厳密な意味を込めて、使用されていたといわれる。

その、ゲイという言葉は、同性に対する、性的嗜好を自覚して、用いられたようだ。

ゲイのカテゴリーを主として、自己決定的なものとすることで、ホモセクシュアルという語の、欠点を未然に防いでいるようである。

アメリカの、三分の一以上の成人男性が、同性愛の行動に関わったことになっているが、これと同じ割合で、自分をゲイと、認めることはないのである。

アルフレッド・キンゼイーは、異性愛の経験のみを、0とし、同性愛の経験のみを、6、両方とも等しく経験している者を、3、などと七段階の基準を設けた。

キンゼーは、行動ばかりではなく、空想も説明しようとしたが、十分な実例史のない人々の特徴を、明らかにするには、この基準は、役に立たないのである。

ちなみに、同性愛という、定義、概念が出来てから、異性愛という、言葉が出来た。

それは、つまり、古代は、性愛に関しての、枠組みが、曖昧であり、同性、異性愛と、明確なカテゴリーを持たなかったといえる。

ボズウェルは、同性愛、ホモセクシャアルは、形容詞として、用いるという。

「主として同性に対して性的な興味をもつ」とい意味の省略表現として用いる、という。

つまり「同性愛」は、意識的な選択によるか、意識下の欲望のためか、切迫した状況のせいかを問わず、同性に対する者同士のあいだに生ずるすべての性現象を包含する。これと対照的に、「ゲイ」という言葉が指すのは、同性に対する性的嗜好の目安となる一特徴として自覚しているひとびと、もしくは、漠然とした用法だが、「ゲイの詩」のように、そのようなひとびとに関連する文物である。「ゲイの性愛」は自覚された好みに従う色情のみを指す。
ボズウェル

ホモセクシャアルの反対は、ヘテロセクシャアル、異性愛である。
それも、選択によるか、潜在意識のためかを問わず、異なる性の間に生ずる、すべての性現象を包含する。

俗語では、ゲイの、反対語は、ストレートである。
だが、これは、実証できる、語誌がないのである。

ボズウェルは、そこで、ノンゲイ、非ゲイという言葉を、用いるという。

ただ、ホモセクシュアルという言葉には、ゲイの性生活を含ませる感覚がある。

言葉の好みは、人それぞれであるが、ホモセクシュアルとは、病理学の分野で、作られ、広まったゆえに、ゲイ・ピープルは、ゲイという言葉を、好む。

このように、ホモセクシュアル、ゲイという言葉の定義、更には、それを、自覚する者によっても、実に、難しい問題なのである。

一切、同性愛の欲求が無かったという、男子が、先輩に強要されて、同性愛行為を続けるうちに、気づいてみると、同性愛者になっていたという、事実もある。

また、少年期に、年上の男から同性愛行為を、強いられていたが、それがなくなり、異性愛として、生きるという者もいる。

更に、バイセクシュアルという、両性愛という、者もいる。

男女共に、性的対象となり、そして、性行為を行う人である。

日本の、江戸時代で、色遊びといえば、両性愛性行為のことであった。

女とも、男とも、性愛を楽しむことが、粋であるという、色遊びである。

これからは、海野弘、ホモセクシャルの世界史からも、引用して、話を続けることにする。

結論から言えば、性愛というのは、その環境から、感性から、あらゆるものを、総合して、性行為というものが、行われるということである。
異性愛から、同性愛へ。また、その反対もあり得る。
つまり、八割程度の人の、性愛の形は、実に、不安定なのである。
二割の人は、明確にすることが、出来るかもしれないが、八割方は、明確に出来ないで、生きていると、言える。



posted by 天山 at 00:00| 性について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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