2009年06月06日

何故バリ島か 6

クタのホテルに到着して、運転手に、料金を払う。

私は、20万ルピアを出した。
おつりを出そうとしたので、いいです、と言った。
コータが、あなたは、誠実で良い人なので、チップですと、言った。
運転手は、神妙な顔で、頷いた。

次の時に、サヌールの、民家の中に連れて行って欲しいと言うと、大きく頷く。

もう、私たちの、目的が、彼には明確に、解ったのである。

時間は、夕方であった。

しばし、部屋で休むことにする。

後は、本日の夜に、コータが、約束した、ストリートチルドレンに、衣服を渡すことである。
彼らが、出て来るのは、七時過ぎなので、それまで、部屋にいた。

彼らが出て来る通りに、出て、食事をしてもいいと、私は思った。
食事が先か、食事が後か。
そんなことを、考えて、タバコをふかす。

インドネシアは、太平洋戦争時に、日本の統治下にあった。
であるから、色々な島々に、戦禍が残る。
バリ島も、一時期、統治下にあり、その犠牲は、食料調達による、食料不足だった。

ウブドゥの農民は、奴隷のように扱われて、海辺まで、米を運ばされた。

反抗する者は、暴力を受けた。
刀の傷跡が、残っていた老人も、いたという。

その一つ一つを、拾い上げて、記録するものはない。
皆々、忘れたい思いである。

戦争。
平和を、考えるためには、戦争を、理解しなければならない。
何も、攻撃を受けて、死んだという、ことだけではない。
島の人々の生活を、激変させたのである。

私は、インドネシアの島々を、追悼慰霊のために、回る予定である。

忘れ去られた、犠牲者の追悼慰霊を、進んで行う。
今年は、敗戦から、64年を迎える。
もし、64年に渡って、未だに、戦争の様のままにある、霊位がいるならば、それは、実に、哀れなことである。

私は、日本の伝統にある、言霊、音霊によって、ただ、清め祓いをするのみ。
想念の浄化である。
それは、僭越行為ではない。

皇祖皇宗、天照る神の、つまり、日本の祖先の総称により、霊位を覚醒させるのである。

そして、戻られることを、祈る。

簡単に言えば、戦争は、終わりました。
本当に、ご苦労様でした。
どうぞ、故郷、また、靖国に、お戻り下さい。
いや、母の元に、お戻り下さいと、黙祷するだけである。

パプア・イリアンジャヤの、上にあるビアッ島では、二万以上の日本兵が、出掛けて、帰った者は、600名程であり、アメリカ兵も、多くの犠牲を出した、太平洋戦争での、無駄な戦いと、いわれた、激戦地がある。

その他、パラオの、ペリリュー島戦地で、戦った、元アメリカ兵士の手記を読んでいる。
時々、読むのを止めなければならない、程、辛いものである。

いずれ、紹介することにするが、歴史の彼方に消えてしまうのでは、あまりに、彼らの死が、空しい。

バリ島は、きっかけである。

只今は、イスラムが、席巻しているのが、インドネシアである。
バリ島だけは、バリヒンドゥーという、特別地区である。

インドネシアの、イスラム指導者は、イスラム教の教えの強化を計っている。
実は、テロ行為に参加する者、インドネシアから、多く出る。
インドネシアの若者が、聖戦、ジハードに参加しているのである。

更に、インドネシアは、軍事政権である。
一見、そのようには、見えないが、確実に、言論統制する、軍事政権なのである。

ジャワ島、スラバヤから、日本に留学した、学生と、親交を結んだことがある。
その時、インドネシアの政権の、言論統制の様を、聞いた。

留学生同士でも、密告する者があるので、政権の批判は、出来ないというものだった。
更に、彼の父親は、反政権派であり、時々、拘束されるという。

彼の目標は、政権に遠い、日本の企業に勤めたいということだった。

更に、驚くべきは、首都、ジャカルタは、世界最大のスラムがある。
何故、そのように事態になるのか。

一部支配層が、経済を、掌握しているからである。
支配層とは、政治家たちであり、その親族たちである。

これ以上は、危険であるから、書かない。

女漁りの、旅ガイドなどを、のうのうと、書いている者もいるが、愚劣の一言。
貧しい国の、女を漁りに出掛ける男達の、呆れた行状は、どこにでもある。

勿論、貧しい国の女達は、生きるために、逞しく、その、体を使って、外貨を稼ぐこと、否定は、しないし、それも、方法であると、考える。
ただし、許せないのは、児童買春である。

貧しい国の子供達は、その危険にいつも、晒されている。

ストリートチルドレンを見ていると、女の子は、ある年齢になると、姿が、無くなる。
前回出掛けた時は、いたはずの、女の子が、いなくなっている。

そういうことが、多々ある。

インドネシアの、追悼慰霊と、衣服支援が、バリ島から、始まったことが、私の幸いであった。

漸く、イスラム国家の、島々に、出掛ける、心の準備が出来た。

私は言う。
日本には、宗教は、無い。
日本には、伝統があるのみ。

宗教の争いほど、愚かしいものはない。

日本は、このように、死者に対座する、伝統行為があり、私は、それを、行っている。
それは、宗教行為ではない。
そのように、私は、説明する。

つまり、日本人には、異教徒という、観念がない。
すべての、宗教行為を、尊重する。
教えによって、戦う観念は無いのである。

日本人の、この感性が、世界の平和に寄与するのである。
それを、大和心、やまとこころ、と言う。

大いなる和の心である。
ひらがなにする。

おおいなる やわらぎの こころ
である。

本来の、大和魂とは、それを言うものである。

誤った観念を持つな。
天照る、太陽を、祖先の総称とする、民族は、すべての民族を、包括するのである。



posted by 天山 at 00:00| 何故、バリ島か 平成21年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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