2009年05月27日

最後の沈黙を破る 27

宗教、及び、宗教団体の、えげつなさ、は、皆の、知るところである。

カウンターテナー藤岡宣男が、宗教の勧誘にあった。

曰く、コンサートに、お客が集まる。成功する、というものである。

勿論、私は、大反対である。

芸の世界に、宗教団体の、信者が大勢、押し寄せるというのは、許しがたい。
良いも悪いも無い。その信者であるというだけで、客が来る。
笑わせる。

そうして、宗教団体というもの、えげつなさを、堂々と、行為する。

そして、実に、この私にも、宗教団体、S会の勧誘があった。
藤岡亡き後の、コンサートである。

人が少ない。
そこで、彼らの手は、人が集うというものである。

馬鹿馬鹿しい。
実に、馬鹿馬鹿しい。

下手糞な者でも、信者になれば、皆、お情けで、人が集うという、哀れさに、気づかないのか。

信長が、比叡山焼き討ちを、行ったのは、正しい。
傲慢不遜の、僧侶たち。更に、僧兵まで雇うという、宗教には、全く、ありえない、姿。
信長という、政治家の、面目である。

一人残らず、殺すという、焼き討ちは、正しい。
それほど、宗教とは、堕落するものだからである。

信じさせれば、こっちのものである。

浄土真宗の蓮如などは、何度殺されてもいい。

空海が、言う、人を酒に酔わせたようにする、信仰というもの。

信仰に、酔わせて、騙す、脅す、実に、甚だしい、人権侵害を、行う。

芸能人が、信者であると、大声で言う宗教団体の、手は、人をそれで、酔わすのである。

信じてしまえば、こっちのもの。

実に、実に、救われないもの、それが、宗教である。

更に、である。
その、ボランティア活動や、奉仕活動などは、全くもって、偽善の一言である。

無償の行為ではない。
宗教の宣伝である。
最も、卑劣である。

信者から、得た金で、援助したとは、笑わせる。
教祖、会長は、痛くも、痒くもない。
信者の金である。

この、罪は、計り知れない。

夢物語を、語り、信者を、騙す。

だが、馬鹿、アホはいるもので、人集めには、宗教に入るのが、一番と、思う。勿論、それで、宗教団体を、利用する程の、玉なら、認める。
しかし、結局、取り込まれるのである。

布施行為を、強要されて、元の木阿弥である。

個々の人の、信じる気持ちは、否定しないが、こと、団体となると、手がつけられない。

宗教団体とは、搾取の団体である。

これから、個々の宗教を、名指してして、私は、徹底攻撃する。

勿論、その教義なるものも、徹底解明する。

教義とは、妄想である。

そんなものは、無い。

虚無である。

人は、妄想と、幻想によって、生きる。それは、認める。
自己幻想の無い人はしない。

幻想があるから、生きられる。

釈迦仏陀が、目くそ、耳糞、鼻くそ、そして、体には、糞だまりであると、人間を示した。

そんな、糞だまりの、人間が、幻想を抱くというのは、理解するが、それでは、それらが無い、糞はしないという、嘘は、理解できない。

即身成仏した、教祖は、二度の、脳梗塞になっても、平然としている。
即身成仏したのであれば、即、死んでも、よいはずであるが、死なない。

それでは、即身成仏は、嘘であろうが、信者は、気づかない。
何故か。

騙されているのである。

信じると、騙されたことにも、気づかなくなる。

これを、日本的には、あはれ、という。

実に、あはれ、である。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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