2009年05月08日

最後の沈黙を破る 8

馬鹿は、死んでも治らないとは、昔の人の言葉である。

だが、それは、今も昔も、変わらない。

死後の世界、つまり、魂の世界のことを、無いと判断する者が、死ぬと、突然、焦る。

死んだ肉体を見て、俺は、どうしたのだと、焦る。
そして、身内に、語りかけるが、通じない。
口無しであるから、誰も、気づかない。

そして、通夜、葬儀である。
それを、呆然として、見ている。

俺は、ここにいる。私は、ここにいると、大声で、叫んでも、誰にも、聞えない。

死後の世界は無いと、信じているから、自分の状態が、解らない。

それで、通夜や、葬儀に来た人に、強制的に、知らせるために、事故などを起こさせて、教えるが、下手をすると、その事故で、死ぬ親族もいる。

そうなると、連鎖的に、続くことになる。

量子力学、物理学では、霊界の存在について、相当なところまで、解っている、はずである。だが、すべてを、公開出来ない。
衝撃が、大きすぎるからだ。
更に、宗教の否定につながり、そういう学者は、狂信の信仰者に、殺される。

植物でさえ、切り取った後には、そこに花が、あったという、残像が残る。
勿論、それは、自然消滅する。

人間も、同じである。
残像が残る。
しかし、自然消滅するほど、進化していない。

残像は、霊である。
私は、それを、霊位と呼ぶ。

そして、残像は、この世に残れば、幽霊である。

最も、大切なものは、想念である。
この、想念が、霊位であり、霊界入りするのである。
つまり、死は、霊界に生まれる、戻るのである。

ところが、霊界に、スムーズに行くのではない。
その前に、現世の清算をするため、要するに、人生の、まとめと、反省をするために、幽界に、出向く。
出向く霊位は、よいが、霊というものは無いという、馬鹿が、幽界にも、行けない。

それで、浮遊する。

肉体が骨になると、その骨の周囲で、うろうろしたり、墓の周囲で、おろおろする。
それならば、まだ、いい。
しかし、馬鹿は、騒ぐ。

俺は、ここにいると、叫んで歩く。しかし、誰も、気づかない。
仏壇で、拝まれているのを、見ても、死を自覚しない、馬鹿である。

馬鹿は、死んでも、治らないのである。

その点、宗教を信じていた人は、大半が、本部の建物や、その、宗教の建物の、上空にて、そこを、天国や、極楽だと、思いこんでいるから、まだ、害はない。

しかし、幽界にも、行かない。行けない。

彼らに、最初に言うことは、あなたは、死んでいることが、解るかということである。
解らないという霊は、それを、理解させるまで、説く必要がある。

すると、生前、死ぬことを、学んでいなかったので、死の学びが必要である。
到底、やっていられないのである。

巷の、霊能者は、彼らを、幽界にも、送れないでいる。
では、何をしているのかといえば、居場所を、変更しているだけである。

部屋の整理に、あちらのものを、こちらに、というようなことをして、はい、除霊しました、浄霊しましたと、言う。
そして、大枚な、料金を取る。

まして、お経を読んで、霊が、幽界に行けるものではない。
お経の意味も、知らないのである。

昔は、その音の力により、幽界まで、押し上げた、僧侶もいたが、今は、大半が、寝惚けた、読経であるから、詮無いこと。

読経は、教えを、暗記するための、方法であり、霊の供養など、するものではない。
更に、供養という意味も、全く意味合いが、違う。
供養とは、生きている人にするものであり、死者にするものではない。

かろうじて、回向という行為は、あるにはある。

回向とは、死者を思い出し、黙祷することである。

自業自得の世界が、宇宙であるから、死者のために、何事かをしても、死者自身が、行わなければ、どうしようもないのである。

私が、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行うのは、供養でも、回向でもない。
言えば、黙祷である。

そして、語り掛けである。
日本に、お戻り下さい。
靖国に行きたい方は、靖国に、故郷に戻られたい方は、故郷に、である。

そこで、霊位の意識を、ワープして貰うのみ。
私は、幽界にも、上げられないことを、知っている。

故郷に戻る霊位は、自ら、死を悟り、死後の世界へ、目指すのである。
それを、促す行為が、私の追悼慰霊である。

救うなどいう、僭越行為は、無い。

その地に、留まり、未だに、戦争をしている霊位もいる。
死んだ意識無く、未だに、戦っているのである。

実に、哀れである。

勿論、死んだら、何も無い、無になると、言う人に、私は、何事かを説くことはしない。

この世が、有で、あの世が無という、相対的な、考え方に気づいていないのである。
アホである。

無という、世界があるということを、言うのであるが、アホだから、無、とは、何も無いと、信じている。

霊界には、無、という、空間もある。
別名、地獄と、言う人もいる。

本当に、何も無い空間。
想像出来ない。
想像すると、狂う。

だから、そこに行く人は、狂っている。

人間は、すぐに、死ぬ。
だから、別に説明する必要は無い。

説明しているのは、商売の宗教団体である。
旅行会社の、死後のツアーのような業務を、行っている。

しかし、それを行う人も、知らないから、行って見て、仰天する。

下を見ると、自分とおなじような人が集う、宗教施設の上空なのである、から。

終わっている。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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