2009年05月06日

最後の沈黙を破る 6

世の中が、不況になり、格差が広がると、落ちこぼれは、ストレスが溜まり、発散するために、インターネットの書き込みに、そのストレスを、ぶつける。

単純に、感情的な、言葉を書き付ける。
更に、弱いと、思った者には、また、容赦しない。
この世は、地獄である。

藤岡宣男が、亡くなった時間は、夜の、十時十分頃である。
深夜、零時には、ニュースになった。

それからである。
多くの、憶測、妄想の数々が披露された。
これも、有名であることからだと、黙っていた。

しかし、中には、聞き捨てならない言葉があった。

木村天山が、殺したというものである。

事件の、顛末については、詳しく書いたので、省略する。

藤岡を生かすために、五年間、様々に行動していた私が、殺したと、言われた時の気持ちは、たまらないものである。
それを、理解してくれとは、思わない。

この世は、地獄であるから、それも、あり、だと、思っている。
しかし、私が、腑に落ちないのは、そういう言葉を、吐いた者が、平穏無事に暮らせるということである。

そんなことは、ないはずである。

私が、呪って、悪いことが起こるというのではない。
自業自得で、その言葉を吐いた者は、七転八倒するはずである。

今でなくても・・・

勿論、私は、どうとも、思わない。

書き込みで、警察が、動くようになった。
例えば、芸能人などに、殺すと、書くと、警察が動くのである。
それほど、何でも、書くことが、出来るようになった。

誹謗中傷で、自殺する者も、出る。

そんなことを、許しておいていいのだろうか。
道徳ということの意味を、知らないと言える。また、それを、教えられないのである。

道徳教育をすると言うと、馬鹿な、日教組が、良心の自由だの、何だのと、煩いのである。

君が代、国旗掲揚も、良心の自由を、掲げて、歌わない、起立しないという、馬鹿までいる。

それが、公立学校の教師であるから、笑う。

私と、公という、世界を、区別出来ない者が、ガッコの先生に、なってはいけない。

このような、教師に、教えられた、皆々が、この、道徳破壊の、書き込みの行為を、平然として、する。
更に、このような者達に、教えられた者が、今、無責任な、書き込みをして、平然としている。

更に言えば、学生運動をした、世代の、アホが、親として、教育した者どもが、こうして、無責任な書き込みをする。

犯人探しをすれば、そこに行き着く。

権利の主張こそが、正しいと、言う、アホ、馬鹿、間抜けである。

それらの、学生運動時代の、アホが、今では、体制側について、のうのうと、ゴルフ三昧であるから、言葉が無い。

革命であったはず。
しかし、今、彼らの生活を、見ていると、セックス三昧、ゴルフ三昧、果ては、田舎暮らしを、満喫するという、アホもいる。

私の、問題は、それ以上にあるが、今は、この辺で、やめておく。

要するに、自分で、何事かを、行っているように、思えるが、実は、自分ではないモノに、動かされているということに、気づかないのである。

自分の意識で、行っていると、信じているだけで、それは、無い神仏というものを、信じる行為に似る。

本当の、意識というものを、持たないのである。

しかし、それを、言っても、何のことか、解らないだろう。
それほど、我という、意識を、失っているということである。

問題は、それである。

霊の、憑依現象というものがある。
今の、人、おおよそ、憑依現象にある。

如何ともしがたい、思いを、抱く。
それが、我のものだと、信じる。しかし、それは、憑依現象なのである。

無責任な書き込みを、する者を、追跡して行くと、必ず、目に見えない世界に、行き着く。そして、その者の、背後にあるものを、認識する。

多くは、浮遊霊である。
そして、そういう者は、そういうモノを、信じないのである。

だが、それは、すぐに、解る。
人は、すぐに、死ぬからである。

浮遊霊に、憑依された人は、また、浮遊霊になる。

死ねば、解ることだから、説明するまでもない。
死は、すぐ、目の前にある。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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