2009年05月03日

最後の沈黙を破る 3

藤岡宣男が、東京に出て、声楽家を目指すとした、一つの根拠は、森某という、発声指導者である。

下品な、天狗がついている、その森某は、催眠術のような、指導をする。

人々の前で、声を変えるのである。
勿論、それは、手である。
弟子を増やすための、手段である。

全国に、多数の弟子を持つ。
藤岡も、札幌にて、この森に、師事することになった。

そして、この森の、東京に来い、である。
何の根拠もなく、一人前にしてやるという言葉。

勿論、森某の所から、一人前になった、声楽家は、いない。
脅しと、洗脳であるから、その手が、知れる。

藤岡は、森の言葉を信じて、会社を辞めて、東京に出て、森に師事することにした。
およそ、10ヶ月を、通った。

何事も無く、発表会には、チケットノルマを持って、対処する。それの繰り返しである。

私が、藤岡に、森先生の所を止めると、言われた時、即座に、そうした方がいいと、言った。

私も、何度か、発表会で、見ている。
本人は、舞台で、歌うことが出来ない程の、小心者である。しかし、教える段になると、天狗が、憑く。

30分一万円の、セミナーである。
占い師に似る。

藤岡は、週に二度三度と、通った。
特別待遇を受けたようである。
当たり前である。才能があるからである。

今でも、人を脅して、発声を教えて、大枚の金を得ている。

その弟子が、私の主催する声楽セミナーに来た。
おどおどして、見るも、哀れであった。

森先生に脅されて、云々。しかし、止めることも出来ないでいるという。
これこそ、哀れ。

発声指導とは、詐欺のようである。
明確に、発声などを、教えることは、出来ない。
上手くなるのは、生まれつきのものである。

それから、藤岡は、古楽系の指導を受けるために、先生を替えた。

古楽とは、クラシックのジャンルの一つである。
中世の西洋音楽であり、カウンターテナーの、得意とするところである。

その先生は、声楽ではなく、楽器奏者である。しかし、古楽の造詣深いということで、師事した。
ところが、古楽というもの、誰にも、分からない。
バッハ・コレキュウム・ジャパンという、団体が、古楽を得意とするが、あの、鈴木某という者、古楽を分かっているのではなく、古楽を創造しているのである。
だから、世の人は、誤解する。

世の人と言っても、少数である。
古楽など、誰も聴きたくない。
偏屈な者が、好む。

創造しているのは、評価するが、それを古楽とは、笑わせる。
まさか、霊能力で、中世の古楽を知っているとは、言わないだろう。

その、鈴木という、某にも、藤岡は、二度、三度、呼ばれた。
しまいに、芸大の古楽科に、入り云々と言うから、呆れた。
自分の弟子にすれば、安く使える。

芸大、音大の、教授というのは、その程度であり、学生のことなど、眼中に無い。
自分の、名声と、利益のみを、考える。

さて、古楽の先生は、藤岡に、CD政策を、持ちかけた。
作ってよろしいという、ご託宣である。

その金額を、聞いて、私は、藤岡に、少し待てと、言った。

翌日から、私は、CD制作の、料金を調べた。
そして、分かったことは、その先生が言った、四分の一の料金で、作ることが出来ると、知った。

君のCDを、作ろうと、その先生が言うと、凄いことらしい。
私は、呆れて、笑った。
馬鹿馬鹿しいのも、程がある。

私は、藤岡に言った。
私が、作ると、その先生の言う、四分の一の金額で、作れると。

その先生は、あの、物の怪姫で、有名になった、物の怪のような、カウンターテナーの、最初の、CDを制作したという。

私には、関係ないことである。

藤岡は、その先生からも、離れることになった。
それは、実に、よいことだった。

今頃は、脳軟化症になっているであろう、親の財産で、生計を立てている、ばか者である。

クラシック関係の者、大半が、親の財産を食い潰す者、多し。

聴いたこともない、古楽という、音楽を、云々する者は、大半が、詐欺師のような、者である。
解釈とは、良くぞ言ったものである。
聴いても、いないものを、解釈するという、蒙昧は、計り知れない。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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