2009年04月04日

ヤンゴンへ 4

ヤンゴン、二日目の朝、私は、早く目覚めた。
そして、色々と思案した。といっても、朝、寺には行かないことにし、社長に、タンブン、布施を渡して、行って貰おうと、思った。

八時前に、一階のフロントに、降りた。
10000チャットを、封筒に入れて、タンブとして、渡すことにした。
日本円にして、千円であるが、この額を決めるのも、悩んだ。
最初は、三万チャットだったが、次第に冷静になり、一万チャットに、落ち着いた。

社長がフロントにいた。
挨拶して、タンブンを渡すと、即座に、中身を確認した。
それも、驚きだった。
封筒に入れたものを、寺に布施するのであるから、見るという行為に、アレッと、思った。

そして、車を用意してあり、八時半に出発すると、言う。
寺に行くものだとばかり、思っていたが、運転手もつけてある、云々と言う。
すると、昨日の、若い僧侶が、ホテルに入って来た。

一緒に行くのである。
八時半出発ということなので、私は、コータを起こすために、部屋に戻った。

寺に行かずに、直接、支援する場所に行くみたいだと、コータに伝えて、私も、出掛ける準備をした。
浴衣に、着替えた。

10分前に、一階に降りると、車の用意がされていた。
昨夜の日本語を話す男が、運転手と、案内役である。
寺に行く話しは無しになっていた。

その男が、途中で、高僧の派遣した僧侶と、落合、そこから、彼らの先導で、行くという。

だが、社長は、途中で、車を降りて、別の車に乗り換えて、行くことになり、チャットが必要になるから、100ドルほど、チャットを持って行った方がいいという。
しかし、私は、昨夜、更に50ドル、チャットに換えていたので、それを見せた。

何とも、腑に落ちない気持である。
そして、社長は、コータに、こちらの車代は、20ドルであると、言う。
コータから、20ドル必要だと、言われて、私は、社長に、20ドルを渡した。

そして、出発である。
その時、社長が、ペットボトルの水を二本、パンの袋を二つ、渡した。
親切であると、理解した。

私達は、朝食を食べていない。
ちなみに、ホテル代金は、朝食つきの料金である。

寺に行くことなく、現場に向かうことになって、出発した。

川沿いの道を通り、橋を渡って、ヤンゴン市内から、郊外へ出た。
一時間近く走ったと思う。
大きな通りに出て、そこから、左の道に入った時、車が止まった。
男が、電話を掛け始めた。
そして、また、大きな通りに戻った。

その通りに停車して、暫く過ごした。
合流する僧侶との、連絡をしていると、思うが・・・

屋台の物売りが、並んでいる。
バスが停車して、人々が混雑している。
一度、車から降りて、辺りを見回した。

実に殺風景な風景である。
日本の秋枯れのようである。
後で、その辺り一帯も、サイクロンにより、すべてなぎ倒されたと知る。

漸く、運転手件案内の男が、車に戻り、出発した。
といっても、戻った道を、また進んだ。
つまり、最初の通りを左に曲がった、道であり、サイクロンの被害の多かった場所である。

そして、少し進むと、男が、この辺りで、しましょうという。
変だなーと、思う。

合流する僧侶は、いないし、この辺りで、やりましょうと言う。
あらかじめ、支援する場所を、高僧が指定したのではないか。

ところが、その村の寺に支援物資を持って向かうと、何とも段取りがいい。
待ってましたという感じである。

そこの、僧侶に挨拶して、男から、説明を受けた。
ここで、お坊さんに、村の子供達に集まって貰うにしましたから、皆、来ます。そして、静かに、配ることが出来ます。今、皆に、連絡させていますと、言う。

私達は、その寺の中で、支援するものだと、支援物資の荷物を解いて、衣服を出した。
そして、待った。

すると、村の人、男三人がやって来た。
何やら、話している。

すると、男が、村の人の家に、子供達を集めて、そこで、配りますと言う。
段取りが、悪いのである。
寺の中で、配るはずだった。

私達は、もう一度、バッグに、物を入れ直して、それを村の人が運ぶ。

寺から、少し離れた、家である。
その一帯は、荒れ野原である。
家も、少ない。
田圃の刈り取った後のままで、緑が無い風景。

村の人が、話すことを、若い僧侶が、英語で通訳してくれる。
それを、私は、コータから聞いた。

この辺、一帯は、サイクロンで、すべて飛ばされてしまった。何も無い。今も、そのままである。

村の村長のような人の家に、到着して、荷物を再度、開けた。
そして、サイズ別に、並べて、子供達を待った。
すると、一人、二人と、やって来た。
本当に、子供達が来るのかと、思ったが、集うと、30名ほどの、子供達になった。
着ている物は、皆、汚れている。
確かに、何も無い風情である。

赤ん坊を抱いた女も、三人ほど来た。
そして、村の大人も、数名いる。

子供達を静かにさせて、一人一人に、私は、サイズの合う衣服を渡した。
次々と、子供が、前に来る。
確かに、一人一人に、手渡した。そして、赤ん坊を抱いた女達にも、幼児用のものを、渡し、更に、彼女達にも、必要な物を渡した。
大人物も、少し持っていたので、男達にも、渡すことが出来た。

一時間近くかかったようである。
私は、汗だくになった。

いよいよ、全員に渡し終えると、私に、家の奥さんが、飲み物をと、勧めてくれた。
男達数名もいて、私をねぎらう。
ふっと、家の中を見ると、子供達が、全員集合している。
静かなので、私は、皆、戻ったと、思ったが、皆、静かに、事の過ぎるのを、待っていたのだ。

男が、写真を撮りましょうと言う。
そして、子供達を、家の前に並ばせた。

段取りがいい。
確かに、何の問題もなく、支援物資を、配ることが出来た。これは、幸いであった。

写真を撮るためにも、子供達は、静粛にしていた。
何枚も、撮った。
若い僧侶も、ここぞとばかりに、写真を撮っている。

この若い僧侶は、家に着くと、村人に、何やら説教をした。
真剣な表情で、何やら、村人に話し掛け、それを、村人も、神妙に聞いていた。

今回の支援について、自分の関与を話しているようだった。
言葉が、解らないので、そのように、感じた。

子供達が、それぞれ、解散して、私は、持て成しのお茶を、飲んだ。

その家の、奥さんと、おばあさんにも、何がしかの衣類を渡した。

一人の村人の男が、私に感謝を示して、手の甲に、口付けした。
そして、何やら、トクトクと、話した。
ありがとう、ありがとうと、言うように聞えた。
決して、悪い気分ではなかった。

一度、寺の方に戻ると、寺の僧侶が、私たちを、田圃の中で待っていた。
私は、僧侶に、タンブンとして、5000チャットを渡した。

村の男達も、私たちを、見送りに来た。
車が走り始めるまで、見送ってくれた。




posted by 天山 at 00:00| ヤンゴンへ 平成21年3月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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