入道は、出世を諦めた際に、このような田舎に下る気になったのも、ただ、あなたのため。思うように、朝晩のお世話も満足にできるのだろうかと思いつつ、決心したのです。自分の運に、恵まれない生まれが悪いのかと、思い知らされることも、多かった。絶対に、都に帰り、昔の国守の、落ちぶれた一人として、雑草の生い茂った家を、修繕することも、出来ぬまま、政界でも、私生活でも、馬鹿だという、評判を得て、今は亡き親の名前を、辱めることになっては、堪らないと、都を出て、出家したということで、誰もが、思ったことです。出世を諦めたことでは、よくぞと、思ったと、思いますが、あなたが、だんだんと、大人になり、物事が分かるようになって、どうして、こんなと、話しにもならない、田舎で錦を隠しているのかと、親の心は、晴れ間もなく、嘆いていました。神仏に、御願いして、いくらなんでも、自分のような、つまらない親のせいで、田舎で、一生過ごしてはなるまいと、信じる心を頼りにしていたところ、思いもよらず、嬉しいことを、見て以来、かえって、我が生まれの、賎しさを嘆いていましたけれど、姫君が、生まれたという、運の頼もしさ。このような、浜辺で、月日を送るのは、勿体無いと、この運は、格別のことと思われる姫君です。その、お顔を、拝することができないとなると、抑え切れない思いがします。でも、私は、この世を、永遠に捨ててしまった覚悟です。あなた方は、この世を照らされる光となることは、確かなこと。ほんの暫くの間、このような田舎者の心を騒がせる、宿縁があったのでしょう。
天上界に生まれる人が、三悪道に、帰するという、あの瞬間のつもりになって、今日、永久にお別れします。私が、死んだとしても、後世の冥福など、考えることなく、必ず来るべき、死別にも、心を動かしてはなりません。
と、言うが、
灰となる、その夕方まで、若君のことを、六時の勤めのときにも、未練がましく、お祈りの中に、込めましょうと、言い、この言葉で、涙を流すのである。
むすめを、あなたと、敬語で呼び掛けて、話しをする、父親、入道である。
六時の勤めとは、一日、六回、勤行をするという意味である。
御車はあまた続けむも所せく、かたへづつ分けむもわづらはしとて、御供の人々も、あながちに隠ろへ忍ぶれば、「船にて忍びやかに」と定めたり。
辰の時に船出し給ふ。
お車を、連ねて行列を作るのは、仰々しい。また、一部分を、分けるのも、面倒だと、御供の人々と、目立たぬようにと、船で、ひそかに行くことにした。
朝の、七時頃に、船出する。
昔の人も、あはれといひける浦の朝霧へだたり行くままに、いともの悲しくて、入道は、心すみはつまじく、あながれながめいたり。
ここら年を経て今さら帰るも、なほ思ひつきせず、尼君は泣き給ふ。
尼君
かの岸に 心よりにし あま船の そむきしかたに 漕ぎかへるかな
御方
いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ 浮き木にのりて われかへるらむ
昔の人も、あはれ、と言った、明石の裏の、朝霧の中に、遠ざかる、船に、何とも、悲しくて、入道は、思いを断ち切れそうにない。茫然と船を見送る。
長年住み慣れて、新しく、都に帰るにつけて、尼君は、泣くのである。
尼君
彼岸の浄土を願い、尼になったが、いったん、捨てた都に、船で、帰ることよ。
御方
幾年も、幾年も、この裏で過ごしてきた。今さら、心細い船で、都に帰るとは。
いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ
幾度も、この浦の秋を過ごしてきた。
昔のひとも、あはれといひける
古今集
ほのぼのと 明石の浦の あさぎりに 島がくれゆく 舟をとぞ思ふ
心すみはつまじく
澄む、住むと、掛け言葉。
あくがれながめいたり
魂が、体から、抜けるような、気持ちである。
別れのシーンが、また、あはれ、である。
また、物語は、複雑に推移するのである。