左の方は、これは、なよ竹の世々を重ねた、古い物語で、別に興あることもありませんが、かぐや姫が、この世の濁りにも汚れず、はるかに、気高く天に昇った運も立派で、神代のことのようですから、浅はかな女の目では、わからないでしょう、と言う。
右は、かぐや姫が、登ったという、天は、仰るとおり、目には見えないものですから、誰にも、解りません。この世の縁は、竹の中で結んで、生まれたのですから、素性の卑しい人と、思えます。体の光で、一軒の家の中が、照らされたでしょうが、入内を拒んで、宮中の、畏れ多い、御光、つまり、天子には、並ばず、后になりませんでした。
安倍のおほしが、千金を投じて、火鼠の、かわごろもを買った切ない思いが、火に焼かれ、片時の間に、消えてしまったことも、あっけない。車持の親王が、本当の蓬莱山の、難題は、姫に深い心あってのことと、知りつつ、偽物を造り、玉の枝にも、身にも、疵をつけたことは、つまらないことです。と、言う。
竹取物語は、絵が、巨勢のおおみ。字は紀貫之が、書いている。紙屋紙に、唐の綺で、裏打ちをして、赤紫の表紙に、紫檀の軸で、ありふれた表紙である。
右方「俊蔭は、激しき波風におぼほれ知らぬ国に放たれしかど、なほさして行きけるかたの心ざしもかなひて、つひにひとのみかどにもわが国にもありがたき才の程をひろめ、名を残しける古き心をいふに、絵のさまももろこしと日の本とを取り並べて、おもしろきことどもなほ並びなし」といふ。白き色紙、書き表紙、黄なる玉の軸なり。絵は常則、手は道風なれば、今めかしうをかしげに、目も輝くまで見ゆ。左にはそのことわりなし。
右方は、俊蔭は、激しい波風に、もてあそばれ、異国の空に、追いやられました。だが、最初は、希望したところに行く事が出来て、とうとう外国にも、わが国にも、世に稀な音楽の才能を、知らせ、名を後世に残した、趣深い点から言うと、絵のさまも、唐と、和を取り合わせて、面白い点が、色々あり、他に、比べるものが、ありませんと、言う。
白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。
絵は、常則、字は、道風で、当世風で立派であり、目も眩いばかりに見える。
左の方には、それを、打ち負かす、理屈がなかった。
次に伊勢物語に、正三位を合わせて、また定めやらず。これも右はおもしろくにぎははしく、内わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを画きたるは、をかしう見所まさる。平内侍、
伊勢の海の 深き心を たどらずて ふりにしあとと 波や消つべき
世の常のあだごとのひきつくろひ飾れるにおされて、業平が名をやくたすべき」とあらそひかねたり。右のすけ、
雲のうへに 思ひのぼれる 心には 千ひろの底も はるかにぞ見る
中宮「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在中将の名をば、えくたさじ」と宣はせて、宮、
見るめこそ うらふりぬらめ 年へにし 伊勢のあまの 名をや沈めむ
かやうの女言にて、乱れがはしく争ふに、一巻に言の葉をつくして、えも言ひやらず。りただあさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、上のも宮のも片はしをだにえ見ず。いといたう秘めさせ給ふ。
次に、伊勢物語に、正三位を合わせて、今度も、中々勝負がつかない。
これも、右方が、興味深く、派手で、宮中の有様をはじめとして、近頃の世の中の、有様を描いたのも、面白く、見所も多い。
左の平内侍は、
伊勢物語の、深い、趣を考えずとも、古臭いと、けなしても、いいのでしょうか。
世間の普通の、恋愛沙汰を、面白く書いたものに、圧倒され、業平の名を、汚しても、よいのでしょうか、と、たじたじである。
右の大弐の典侍は、
宮中に上がった、正三位の心から、伊勢の海の、千尋の底も、遥かに、低く見下される。伊勢物語など、見劣りします。
中宮は、兵衛の大君の、気位の高さは、いかにも、結構だが、在五中将の、名を汚すことは、できません、と、おおせられ、
少し見たところは、古臭いだろうが、昔から、有名な伊勢物語の、名声を、けなせようか。
と、判定される。
このような、女同士の、論議で、とりとめもなく、勝負を競うので、一巻の判定に、幾首も歌を詠みあい、中々、終わらない。
ただ、心得の少ない若い女房たちは、死ぬほど、見たがるが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、一部さえ、見る事が出来ないほど、たいそう、秘密になさったのである。