2009年03月01日

もののあわれについて。491

左方「なよ竹の世々にふりにけることをかしきふしもなけれど、かぐや姫のこの世の濁りにもけがれず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、浅はかなる女、目及ばぬならむかし」と言ふ。右は、「かぐや姫の上りけむ雲居はげに及ばぬことなれば、誰も知りがたし。この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、ももしきのかしこき御光には並ばずなりにけり。安陪のおほしがちぢのこがねを捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるもいとあへなし。車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて玉の枝に疵をつけたるをあやまちとなす」絵は巨勢の相覧、手は紀の貫之書けり。紙屋紙に唐の綺をはいして、赤紫の表紙、紫檀の軸、世の常の装なり。





左の方は、これは、なよ竹の世々を重ねた、古い物語で、別に興あることもありませんが、かぐや姫が、この世の濁りにも汚れず、はるかに、気高く天に昇った運も立派で、神代のことのようですから、浅はかな女の目では、わからないでしょう、と言う。
右は、かぐや姫が、登ったという、天は、仰るとおり、目には見えないものですから、誰にも、解りません。この世の縁は、竹の中で結んで、生まれたのですから、素性の卑しい人と、思えます。体の光で、一軒の家の中が、照らされたでしょうが、入内を拒んで、宮中の、畏れ多い、御光、つまり、天子には、並ばず、后になりませんでした。
安倍のおほしが、千金を投じて、火鼠の、かわごろもを買った切ない思いが、火に焼かれ、片時の間に、消えてしまったことも、あっけない。車持の親王が、本当の蓬莱山の、難題は、姫に深い心あってのことと、知りつつ、偽物を造り、玉の枝にも、身にも、疵をつけたことは、つまらないことです。と、言う。
竹取物語は、絵が、巨勢のおおみ。字は紀貫之が、書いている。紙屋紙に、唐の綺で、裏打ちをして、赤紫の表紙に、紫檀の軸で、ありふれた表紙である。





右方「俊蔭は、激しき波風におぼほれ知らぬ国に放たれしかど、なほさして行きけるかたの心ざしもかなひて、つひにひとのみかどにもわが国にもありがたき才の程をひろめ、名を残しける古き心をいふに、絵のさまももろこしと日の本とを取り並べて、おもしろきことどもなほ並びなし」といふ。白き色紙、書き表紙、黄なる玉の軸なり。絵は常則、手は道風なれば、今めかしうをかしげに、目も輝くまで見ゆ。左にはそのことわりなし。






右方は、俊蔭は、激しい波風に、もてあそばれ、異国の空に、追いやられました。だが、最初は、希望したところに行く事が出来て、とうとう外国にも、わが国にも、世に稀な音楽の才能を、知らせ、名を後世に残した、趣深い点から言うと、絵のさまも、唐と、和を取り合わせて、面白い点が、色々あり、他に、比べるものが、ありませんと、言う。
白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。
絵は、常則、字は、道風で、当世風で立派であり、目も眩いばかりに見える。
左の方には、それを、打ち負かす、理屈がなかった。





次に伊勢物語に、正三位を合わせて、また定めやらず。これも右はおもしろくにぎははしく、内わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを画きたるは、をかしう見所まさる。平内侍、

伊勢の海の 深き心を たどらずて ふりにしあとと 波や消つべき

世の常のあだごとのひきつくろひ飾れるにおされて、業平が名をやくたすべき」とあらそひかねたり。右のすけ、

雲のうへに 思ひのぼれる 心には 千ひろの底も はるかにぞ見る

中宮「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在中将の名をば、えくたさじ」と宣はせて、宮、

見るめこそ うらふりぬらめ 年へにし 伊勢のあまの 名をや沈めむ

かやうの女言にて、乱れがはしく争ふに、一巻に言の葉をつくして、えも言ひやらず。りただあさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、上のも宮のも片はしをだにえ見ず。いといたう秘めさせ給ふ。




次に、伊勢物語に、正三位を合わせて、今度も、中々勝負がつかない。
これも、右方が、興味深く、派手で、宮中の有様をはじめとして、近頃の世の中の、有様を描いたのも、面白く、見所も多い。
左の平内侍は、

伊勢物語の、深い、趣を考えずとも、古臭いと、けなしても、いいのでしょうか。

世間の普通の、恋愛沙汰を、面白く書いたものに、圧倒され、業平の名を、汚しても、よいのでしょうか、と、たじたじである。
右の大弐の典侍は、

宮中に上がった、正三位の心から、伊勢の海の、千尋の底も、遥かに、低く見下される。伊勢物語など、見劣りします。

中宮は、兵衛の大君の、気位の高さは、いかにも、結構だが、在五中将の、名を汚すことは、できません、と、おおせられ、

少し見たところは、古臭いだろうが、昔から、有名な伊勢物語の、名声を、けなせようか。

と、判定される。

このような、女同士の、論議で、とりとめもなく、勝負を競うので、一巻の判定に、幾首も歌を詠みあい、中々、終わらない。
ただ、心得の少ない若い女房たちは、死ぬほど、見たがるが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、一部さえ、見る事が出来ないほど、たいそう、秘密になさったのである。





posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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