2009年02月23日

バリ島再考の旅 8

クタでの、支援は、昼と、夜とに、分けて行うことにした。

まず、慰霊に使用した、御幣を海に投げ入れるために、昼前に、ビーチに出て、人の少ない場所を探して、祈り、海に投げ入れた。
それから、ゆっくりと、ビーチ沿いを歩いて、衣服を差し上げる人を、探した。

女が、赤ん坊を抱いて座っていた。
その辺りで、暮らす人だと、すぐに解る。
その、赤ん坊に、合うサイズのものを、手渡した時、すでに、私の周囲を、人が取り囲んだ。一瞬のうちである。

どこから、見ていたのか、女達が集った。
私にも、子供がいる。
私にも、子供がいる。

一人一人に、男の子、女の子と、聞いている間に、バッグから、取り出す者もいて、騒然となった。更に、男も、来て、私にも、子供がいると、はじまった。

皆を、制止しつつ、衣服を取り出して上げたが、その間は、30秒ほどの感覚であった。
すべてが、無くなった。
呆然とした。

それを、周囲の人々も、見ていた。
その中に、ホテルの従業員がいることなど、知らない。後で、それが、解る。

そのまま、ホテルに戻った。
汗だくだった。
その一瞬が、体力を、相当奪った。
体力というものは、長時間動いたから、云々というものではない。
その瞬間の、勢いに、消耗するものである。

私は、ビーチ沿いを、ゆっくりと歩いて、そこで暮らす、子供達に、手渡すことを、イメージしていた。が、突然の、出来事に、やや混乱した。

ビーチで、働く人たちは、ジャワ人が多いと、聞いていた。
確かに、ジャワ人が多いだろうが、皆、物売りで、その日暮らしである。
ほとんど、子供達を、学校へやれない人たちである。

例えば、バリ人でマッサージをする者の、家は、三階建ての家で、豊かな暮らしをする人もいるという。
それは、例外中の例外である。
それをもって、すべてを判断出来るものではない。

ジャワ人でも、バリ人でも、私には、関係ない。
必要な人に差し上げるのである。

一瞬の風の中に身を置き、相当な体力を奪われて、部屋で、休んだ。

ビーチは、長い。
そこで、支援活動をするには、何倍もの、衣服が必要である。
そして、限界がある。

残りの半分は、夜、通りで暮らす人々に、差し上げる物で、それを、ビーチに持ってゆくことは、抑えた。

通りで、暮らす人は、場所を替えるので、その時でなければ、渡せない。
ホテルのレストランで食事をして、再び、部屋で、休んだ。

そして、夕闇が迫る頃、荷物を持って、出掛けた。
何度か見て、見当をつけていた。

まず、三人の子供といる、女の場所に行った。
上の女の子の、顔色が悪いのを心配していた。
その時は、上の女の子がいなかったが、乳飲み子と、小さな男の子に、それぞれ、サイズの合うものを、手渡した。
すると、赤ん坊を抱いた女が、現れた。

その赤ん坊にも、差し上げて、更に、女が、自分のシャツを示して、これ、一枚しかないと言う。
その時、大人物を、持っていなかった。
ネクスト・タイムと、私が言うと、納得した。

それから、通りをゆっくりと歩いて、必要とする人を探した。
今は、もう、具体的に思い出せない。

兎に角、半分以上を差し上げた。
その夜は、それで、終わりである。

帰国まで、明日一日となった。

私は、明日で、すべての衣類を、差し上げることにした。
帰国する日は、明後日になるが、飛行機は、日付が変わってから乗る。
要するに、七日間の、滞在費、10ドルを払っているので、日付が、変わる前に、出国手続きが必要なのである。

八日間以上になると、20ドルになる。
みみっちい、話であるが、この、ケチケチ精神がなければ、多くの国、地域に行けない。
すべては、自腹であるから、長く活動を続けるには、格安チケット、ゲストハウスに泊まり、現地の食堂で、食べて、贅沢は、マッサージをすること、のみである。

勿論、毎月、3000円を支援してくれる方、時々、5万円を支援してくれる方。衣服と一緒に、二千円、三千円と、入れてくれる方がいる。
だが、それで、旅費を賄うことは出来ない。
ほとんど、自腹である。

そして、これが、私の人生最後の活動であるから、それに、つまりお金の、やりくりは、当然のこと。

一度、コンサート活動で、すべてのお金を使い果たしたので、何も無くなった。
それから、やりくりしての、活動である。
実に、無謀なことである。

だから、野垂れ死ぬことが、希望なのである。
異国の地で、くたばれば、幸いである。
更に、希望を言えば、南の島の、浜辺で、息を引き取ることを、よしとする。

そのまま、海にでも流してくれれば、上々の人生、死に方である。

この人生で、欲しい物は、無いし、自分の遺骨に、囚われも無い。
死ねば、霊位として、自然に隠れるのみ。

昔の人は、草葉の陰から、見ていると、言った。
つまり、墓の草葉の陰であろう。
無くなるとは、思わなかった。
死んでも、その心が、残るものだと、思っていた。
勿論、死ねば、無に帰すると、考える人もいて、いい。

死んでしまえば、この世には、どうにも、こうにも、しょうがないのである。
ただし、浮遊すれば、別である。
浮遊して、その想念が、生前の姿を見せることがある。幽霊である。
つまり、幽体から、霊体が抜けていない、状態である。

それは、未練、捕らわれから、起こる。

真っ直ぐ行くとは、真っ直ぐ、行くべき所、時空に行くのである。
隣にいても、時空が違えば、永遠の隔たりがある。
これを、理解するには、直感でしかない。



posted by 天山 at 00:00| バリ島再考の旅 平成21年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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