2009年02月06日

もののあわれ 406

司召の頃、この宮の人は、たまはるべきつかさも得ず、おほかたの道理にても、宮の御たまはりにても、必ずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつしかと、御位をさり、御封などのとまるべきにもあらぬを、ことづけて変ること多かり。




司召のころとは、定期異動のこと、ここでは、地方異動のことをいう。
この宮の人とは、中宮方の人たちである。
当然、いただくはずの、官職が、いただけず、普通の順番からしても、宮の、御給としても、必ずあるはずの、加階、つまり、位が上にあがることも、なかったので、嘆いている者が、多くいる。
尼になっても、すぐに位がなくなり、御封、つまり、給料としての、民戸である。それも、停止するはずがないのに、尼になったことを、口実に、以前と変わらないのである。




みなかねておぼし捨ててし世なれど、宮人どももより所なげに、「かなし」と思へるけしきどもにつけてぞ、御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、東宮の御世をたひらかにおはしまさば」との思しつつ、御行ひたゆみなくつとめさせ給ふ。人知れず、あやふくゆゆしう思ひ聞えさせ給ふに、よろづを慰め給ふ。




皆、前々から、諦めていらした、この時世だが、宮に、仕える人々も、頼み所もなく、悲しそうにしている様を見るにつけ、お心の動揺することも、時々ある。
我が身が、どうなろうと、東宮が、御世を無事に、治めるあそばせと、そればかりを、思う。そして、お勤めを、たゆまずに、なさっている。
人知れず、不安にも、恐ろしくも思うが、私に免じて、その罪を軽くしてくださいと、仏におすがりになることで、気を休めている。



大将も、しか見奉り給ひて、ことわりにおぼす。この殿の人どもも、また同じさまに、からき事のみあれば、世の中はしたなくおぼされて、こもりおはす。



大将も、宮の心を、推し量り、もっともだと、思う。この邸の人々も、また同じく、嫌なことばかりあるので、世間が、面白くなく、引き籠っていらっしゃるのである。





左のおとども、おほやけわたくし引きかへたる世の有様、物憂くおぼして、致仕の表奉り給ふを、みかどは、故院の、やむごとなく重き御うしろ見とおぼして、長き世のかためと、聞え置き給ひし御遺言をおぼしめすに、捨てがたきものに思ひ聞え給へるに、「かひなき事」と、たびたび用いさせ給はねど、せめてかへさひ申し給ひて、籠り居ひぬ。今は、いとどひと族のみ、かへすがへす栄え給ふこと限りなし。世のおもしと物し給へるおとどの、かく世をのがれ給へば、おほやけも心細うおぼされ、世の人も、心ある限りは嘆きけり。




左大臣、公私共に、すっかりと、変わった世間の情勢に、嫌気がさして、辞表を出すのである。陛下は、故院が、この上なく、大切な、後見人と、考えて、長く天下の柱石とするように、申して、お書きになった、遺言を考えて、手離し難いものとして、ご信任していらっしゃるので、その願いは、ならぬ事であると、幾度も、出直しても、取り上げないのである。
それで、引き籠ってしまった。
今は、いよいよ、ある一族ばかりが、いやが上にも、栄えている。
天下の重鎮だった、大臣が、このように、引退されたので、帝も、心細く、世間の人も、心ある人は、すべて、嘆くのだった。

要するに、故院の、皇后と、右大臣方の、勢力が強く、源氏をはじめ、中宮、左大臣方は、反勢力として、阻害されはじめたのである。
それが、更に、源氏の身に、及ぶことになる。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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